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町歩きの達人・山口広助さんと日本三大花街の一つだった長崎・丸山をぶらぶら散策!

長崎市にある丸山は江戸時代、江戸の吉原、京の島原とともに日本三大花街として栄えたエリア。長崎は和華蘭文化と呼ばれる日本と中国、西洋の文化が感じられる街です。今回はその”和”の歴史と伝統文化が残る丸山エリアを、長崎のまち歩きに詳しい山口広助さんにご案内して頂きました。

長崎まちあるきの達人・山口広助さん

丸山の老舗料亭・青柳の旦那様。

山口広助さんは丸山町自治会会長、梅園天満宮総代、丸山の料亭青柳の旦那様など数多くの肩書きをお持ちで、地域活性に尽力されている長崎の歴史観光のプロ。ブラタモリ「長崎編」にも登場した長崎の有名人です。長崎の観光ガイドとしても長年活動されている山口広助さんとともに、花街の面影を残す丸山地域を1時間ほどご案内頂きながら散策しました。

思案橋からスタート

思案橋跡の碑(左)と思案橋のアーチサイン(右)。

路面電車の思案橋電停から下りたらすぐに見える思案橋のアーチサイン。ヒット曲などで有名になった思案橋目当てに多くの観光客が訪れるようになり1973年に建立した思案橋跡の碑もあります。丸山の入り口にはかつては川が流れていて橋があり、この橋で丸山の遊郭に行こうかどうか思案したとされ、「思案橋」と名がついたそうです。

思案橋のアーチサイン。夜になると見えにくくなるので昼間にチェック。

丸山へ繋がる通りの両側には思案橋のアーチサインがあり、長崎丸山ゆかりの人たちが17本の街灯路にデザインされています。現在のものは1999年に設置したもの。この辺りは現在も夜の繁華街となっていますが、ここは遊郭・花街である丸山に人が集まるようになり、丸山へ行き交う人が寄れるように飲み屋街・商店街へと発展。思案橋エリアは長崎の誇るナイトライフエリアでもあります。

街灯路に龍馬を発見!
丸山の入り口にある見返り柳(右)。奥が丸山。

思案橋アーチを抜けると丸山への入り口・山ノ口へ。かつてはここにも「思切橋」という橋がありました。遊郭を訪れた男たちが帰り道に柳のある場所で振り返り、遊女への想いを断ち切ったとされる場所。花街入り口のシンボルでもあります。橋は撤去されましたが、欄干は今も残っています。丸山大提灯やレトロな交番も情緒があってとっても素敵。

かつての花街エリア・丸山を散策

丸山公園には坂本龍馬像がお目見え。

まずは右側に見えてくる丸山公園へ。ここには幕末の風雲児・坂本龍馬の像が。長崎出身の福山雅治さんが主演の「龍馬伝」のヒットから建てられたそう。龍馬三種の神器である鉄砲、懐中時計を持ち、ブーツをはいている像は全国でも珍しいんですって。像の後ろの足元にはハートマークがあるのでぜひ探してみてくださいね。

史跡料亭花月の入り口。

丸山公園の先には史跡料亭の花月が。ここは妓楼・引田屋の遺構で一部に遊郭時代の名残を残しています。花月は引田屋庭園内にあった茶屋の名前を引き継ぎ、明治に入り花月楼として営業を開始。現在は県指定史跡に指定され、史跡料亭として営業しています。料亭を予約し利用すると、坂本龍馬の切りつけられたと言われる刀傷のあるお座敷や800坪の庭園、資料展示室の「集古館」も見学することができますよ。

案内版を見ながら案内してくださる広助さん。
イカロス号事件の現場(左マンション前)。

近くには引田屋の頃の表門があった場所で現在はマンションになっているイカロス号事件の殺人現場も。犯人として龍馬も取り調べを受けたとされ、偽名で丸山に出入りしていたと言われています。幕末には明治維新の若き志士たちがここを通っていたんですね。

さらに深く丸山芸妓の歴史と文化に触れられるエリアへ

風情ある長崎検番の建物。

花月から左に進むと丸山本通りがあり、先に進むと長崎検番の建物が見えてきます。ここは丸山の芸妓さんの事務所。運が良ければ午前中にお稽古の三味線の音が聴けるかもしれません。提灯には現在在籍している芸妓さんの名前が。芸妓さんとのお座敷遊びは料亭に頼めば長崎検番で芸妓さんを手配してもらえるそうですよ。

提灯が一つだけ赤く新しいのは新入りの証。
梅園身代わり天満宮へ続く坂。

長崎検番の脇の道から登っていくと和の雰囲気が存分に感じられる通りが。この通りは古き良き日本が残っていてかつての置屋の名残をみることも。花月の裏門にも通じていて歩いているだけでも風情を感じられる通りです。
坂を上まで登ると梅園身代り天満宮にたどり着きます。遊女や芸妓衆がよく参拝していたと言われる丸山の氏神様。毎年11月上旬には丸山華まつりが開かれ、ここで長崎検番の芸妓さんの踊りや唄が見られるチャンスもありますよ。

梅園身代り天満宮。
梅干しの種を投げ入れる梅塚には梅の種がぎっしり(写真左)。歯痛狛犬にはカラフルな飴がたくさん(写真右)。

境内には食べた梅干しの種に願をかけて投げ入れる梅塚や飴をあげると歯の痛みが消えると言われる歯痛狛など見どころもたくさん。2月には梅の花が咲き誇り、お花見と香りも楽しめます。

小説『長崎ぶらぶら節』の石碑。

梅園身代わり天満宮の入り口の広場には小説『長崎ぶらぶら節』の石碑と説明版もあります。丸山が観光地として人が訪れるようになったのは1999年になかにし礼さんのこの小説が全国に広まり注目されてからだそう。もともとは丸山の人気芸妓・愛八が謳った長崎の民謡なんですね。
そして、そこから案内版に沿って登ると、遊女屋「中の筑後屋」が茶屋を設けていた場所・中の茶屋へ。

江戸時代のまま残る「中の茶屋」の庭園。

ここは「遊びに行くなら花月か中の茶屋」と小説の元となった有名な民謡『長崎ぶらぶら節』の一説にも謳われ、文人墨客が好んで遊び親しんだ場所です。料亭として使われていた建物は焼失して現在の建物は復元されたものですが、庭園は当時のまま残っています。建物内は現在かっぱの絵で有名な清水崑画伯の展示館にもなっており、入場料がかかりますが、庭園は自由見学が可能です。椅子もあるので歩き疲れたら庭園を眺めながら休憩してみるのもいいかもしれません。

花街当時の石垣と遊郭の裏門があった場所(料亭青柳そば)。

そこから坂を下り、丸山遊郭の跡が残る場所へ。花街はかつて石垣で囲まれており、ここではその石垣の名残を見ることができます。階段があるところには遊郭・丸山の裏門があったそう。この階段を登った奥先には電車通りに繋がる丸山オランダ坂が。オランダ商館のある出島へ向かう遊女はここを裏門からでて丸山オランダ坂を通り、当時川だった電車通りのところから小舟に載って出島へ向かっていたのだとか。

料亭青柳。

階段を上がったところにあるのが、広助さんが主人を務める料亭青柳。200年の歴史を持つ老舗の料亭です。料亭は長崎市内にいくつかありますが、丸山エリアの老舗料亭はここと花月のみ。卓袱料理や会席料理、丸山の芸妓さんを呼んでのお座敷遊びも楽しめます。平和祈念像で有名な彫刻家・北村西望氏が亡くなる前年まで毎年足を運んでいた場所でもあり、中には銅像やゆかりの品々が展示されています。

山口広助さん、ありがとうございました。

いかがでしたか?今回はまち歩きの達人・広助さんにご案内いただきましたが、丸山にはご自身でもまち歩きを楽しめるように案内版がたくさんあります。中には広助さんが手作りで作られた案内版も!ぜひ異国情緒溢れる長崎の中でも、和の花街文化と歴史を感じに丸山を散策してみませんか?

丸山町

長崎県長崎市丸山町

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