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※空港を発着点としています。
「長崎空港又は長崎駅~長崎市~長崎市(泊)」
長崎空港~(45分・バス)長崎
「長崎市~佐賀市~鹿児島市(泊)」
長崎~(75分・JR)佐賀~(20分・バス)川副町~(20分・バス)佐賀~(15分・JR)鳥栖~(130分・JR)鹿児島中央駅
「鹿児島市~鹿児島空港又は鹿児島中央駅」
鹿児島市~(45分・バス)鹿児島空港
「変革」の地響き
海外への扉を閉ざし、長く封建的な武家社会を続 けてきた徳川幕府も、三百年たつとあちこちで「変 革」の地響きを抑えられなくなる。「変わらなければな らない」という決意は、江戸から遠い薩摩や長崎 で激しく燃えさかった。
長崎から佐賀藩へ
長崎は、幕府が唯一西洋への窓を開いた「出 島」を抱える地。幕府直轄とはいいながら、オラン ダ商人たちとの交流で情報や知識は駆け巡る。そ して、この長崎の警護を命ぜられたのが佐賀藩 だった。警備を通じて入手される、驚くような海外事 情。それは佐賀藩10代藩主の座につき藩政改 革に乗り出した鍋島直正にとっても、強烈な追い 風となった。日本初の反射炉を造り、大砲や蒸気 船を完成させ、佐賀藩に東洋一の軍事力をもたら すのである。
薩摩藩で11代藩主の座に着いた島津斉彬
保守的な重臣たちの反対や逡巡も押し切って、 新しい時代を切り開く直正の姿勢は、同時代に薩 摩藩で11代藩主の座に着いた島津斉彬にも共 通するだろう。直正より20年後に藩主となる斉彬 は、曽祖父・重豪の血を継いで西洋文明収得に 貪欲だった。就任するや、洋式造船建造、反射 炉・溶鉱炉建設、ガラスやガス灯の製造などの 「集成館事業」を次々に実現させていく。また、洋 式帆船の建造にも取り組み、その帆布に必要な木 綿紡績事業も興した。
幕末の日本近代化の先陣を切った地に感動
斉彬は惜しくも在位7年で急逝したが、その遺志 は引き継がれ、明治維新への大きな原動力となっ た。直正は江戸幕府の終焉を見届け、明治4年ま で生きている。九州の生んだ2人の開明君主が、 日本の歴史を動かす大きな舵取りを果たしたといえ るだろう。
出島(長崎市)
出島
鎖国時代にも唯一海外に開かれた窓だった「出島」。寛永13(1636)年から(1859)年までの218年間続き、オランダ商人たちを通じて文化の吸収や蘭学発展に大きな役割を果たした。昭和26年から復元計画が始まり、現在「水門」「カピタン部屋」「ヘルト部屋」「一番蔵」「二番蔵」などが復元されて、当時のオランダ商人たちの暮らしを再現している。
出島総合案内所(でじまそうごうあんないしょ)
電話: 095-821-7200
住所: 長崎市出島町
交通: 路面電車 長崎駅前から「正覚寺下行き」に乗車し、出島で下車、徒歩すぐ[築町で下 車、徒歩1分]
料金: 500円
営業: 8:00~18:00(入場は17:40まで)
休み: 無休
駐車: なし
長崎歴史文化博物館(長崎市)
長崎歴史文化博物館
坂本龍馬や勝海舟、西郷隆盛など、幕末に長崎を訪れた志士は数知れない。そこで得た西洋の情報や知識は、「日本はどうあるべきか」と模索する彼らのエネルギーとなった。平成17年にオープンしたこの博物館は、かつて「長崎奉行所」だった跡地を復元したもの。江戸期の日本で海外交流や西洋の知識の拠点だった長崎の歴史を展示してある。奉行所のコーナーで毎週末演じられる“お白洲”での取調べの寸劇も観光客に人気。
長崎歴史文化博物館(ながさきれきしぶんかはくぶつかん)
電話: 095-818-8366
住所: 長崎市立山1丁目1-1
交通: 電停桜町から徒歩約7分
料金: 500円(企画展は別料金)
営業: 8:30~19:00
休み: 2010年12月まで無休(2011年1月より第3火曜、祝日の場合は翌日)※メンテナンスのため休館する場合もある
駐車: 62台(有料)
ソロバンドック(長崎市)
ソロバンドック(小菅修船場跡)
「グラバー邸」の主トーマス・グラバーは、日本で最初の汽車を走らせ、高島炭鉱や生糸業、製茶業を起こして維新の志士たちを援助した。彼が薩摩藩士・五代友厚とともに建設したのが、明治元年に竣工したわが国初の近代ドック。ソロバン状の船台から「ソロバンドック」と呼ばれた。後に三菱造船所の原点となる。
※国指定史跡に指定 ※九州・山口の近代化産業遺産群関連
ソロバンドック(そろばんどっく)
電話: 095-828-4110(三菱重工業(株)長崎造船所)
住所: 長崎市小菅町
交通: JR長崎駅よりバスで約15分、徒歩約5分
料金: 無料
営業・休み: 自由見学
駐車: なし
佐賀城本丸歴史館(佐賀市)
佐賀城本丸歴史館
天保9(1838)年、佐賀藩10代藩主鍋島直正によって建てられた佐賀城本丸御殿の一部「外御書院」「御三家座」「御玄関」などを復元、平成16年にオープンした。日本の近代化を導いた幕末維新の佐賀の姿を見学できる。日本初の反射炉や日本近代医学の先駆となった種痘推進、造船事業などが紹介されている。
佐賀県立佐賀城本丸歴史館(さがけんりつさがじょうほんまるれきしかん)
電話: 0952-41-7550
住所: 佐賀市城内2-18-1
交通: 有明佐賀空港よりバスで約25分、JR佐賀駅よりバスで約10分
料金: 無料
営業: 9:30~18:00
休み: 無休(臨時休館する場合もあります。)
駐車: 42台
反射炉跡(佐賀市)
反射炉跡
反射炉とは、鉄などの金属を溶かす炉。幕末期の佐賀藩で、10代藩主直正の命により、オランダ書を翻訳して理論を学び、嘉永3(1850)年に城下の築地(現在の長瀬町)で日本初の反射炉を完成させた。これにより国内初の鉄の大砲鋳造にも成功、幕府からも大量の注文を受け、佐賀藩の近代化の契機となった。
築地反射炉跡(ついじはんしゃろあと)
電話: 0952-40-7110(佐賀市観光振興課)
住所: 佐賀市長瀬町9-15(日新小学校校庭内)
交通: 佐賀大和I.Cから約30分
料金: 無料
営業・休み: 自由見学
駐車: なし
佐野常民記念館(川副町)
佐野常民記念館
文政5(1822)年、現在の川副町に生まれた佐野常民は、藩主直正の命で大阪や江戸に赴き蘭学を学んだ。帰藩後、蒸気船の竣工など佐賀藩海軍の創設に努める。1867年のパリ万博に派遣され、そこでスイスの生んだ「赤十字」思想と出会って感銘を受けたことが、明治の西南戦争の際に「博愛社」設立につながった。敵味方を問わず看護する精神は、その後も磐梯山噴火や日清戦争の救護にもつながり、現在の日本赤十字の基礎が彼によって築かれた。
佐野常民記念館(さのつねたみきねんかん)
電話: 0952-34-9455
住所: 佐賀市川副町大字早津江津446-1
交通: 有明佐賀空港から車で約10分
料金: 無料(ただし、展示室は有料)
営業: 9:00~17:00
休み: 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日、他臨時休館する場合もあります。
尚古集成館(鹿児島市)
※九州・山口の近代化産業遺産群関連
尚古集成館
島津斉彬が藩をリードして進めた「集成館事業」。ここでは慶応元(1865)年に建てられた機械工場の建物を利用し、日本人が撮影した現存最古の銀板写真や、薩摩切子などの伝統工芸品工場として稼動していた頃の機械など、島津氏関連の資料約1万点を展示してある。
尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)
電話: 099-247-1511
住所: 鹿児島市吉野町9698-1
交通: JR鹿児島中央駅からカゴシマシティビューで約30分、仙巌園前下車、徒歩1分
料金: 1,000円(仙巌園と共通)
営業: 8:30~17:30(11月1日~3月15日は8:30~17:20)
駐車: 500台
仙巌園(鹿児島市)
仙巌園
第19代島津光久が、万治元(1658)年に別邸として建て、以来代々の藩主に愛されてきた名庭。真正面に見える桜島の絶景は天下の名園と言われており、国の名勝に指定されている。日本で初めて灯ったガス灯の灯籠、中国風の曲水の庭などを始め、秋の菊まつりなども有名だ。
仙巌園(せんがんえん)
電話: 099-247-1551
住所: 鹿児島市吉野町9700-1
交通: JR鹿児島中央駅からカゴシマシティビューで約30分、仙巌園前下車、徒歩1分
料金: 1,000円(尚古集成館と共通の庭園コースの場合)
営業: 8:30~17:30(11月1日~3月15日は8:30~17:20)
休み: 無休
駐車: 500台
黎明館(鹿児島市)
黎明館
明治100年を記念して鶴丸城跡に建てられた歴史資料センター。鹿児島市の古代から現代までを、歴史・民俗・美術・工芸など多角的な切り口で紹介してある。
黎明館(れいめいかん)
電話: 099-222-5100
住所: 鹿児島市城山町7番2号
交通: カゴシマシティビュー「薩摩義士碑前」下車すぐ
料金: 300円
営業: 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休み: 月曜日(祝日の場合は翌日)、毎月25日(土日除く)、12月31日~1月2日
駐車: あり
維新を支えた「お雇い外国人」
幕末の長崎で、日本の若者たちが薫陶を受けたフルベッキ
10数年前、古ぼけた一枚の写真が世間を騒 然とさせたことがある。「フルベッキの写真」と称さ れたその写真は、幕末の長崎で撮影されたものとさ れ、30数名の若い志士たちが写っている。驚いた ことにその顔ぶれは、西郷隆盛、勝海舟、桂小五 郎、大久保利通、伊藤博文、陸奥宗光、高杉晋 作など、明治維新の立役者たちがほとんど勢ぞろ いしているものだった。
この写真そのものの真偽についてはさまざまな論 争があり、撮影の時期が各人の状況と合致しない (たとえば勝海舟は当時東京で蟄居中だった)こ とから、ほぼ偽物と判断されているが、この写真の 中央に写るフルベッキという人物は本物である。
オランダ生まれで、宣教師として安政6年に来 日し、当時佐賀藩の管轄だった長崎で日本青年 たちに英学を教える。その筆頭が大隈重信で、フ ルベッキに大きな影響を受け、自らも私塾「到遠 館」を開いてフルベッキを校長に迎えた。これが早 稲田大学の前身といわれている。その後大隈らと 上京したフルベッキは、明治政府の翻訳顧問な どを務めて生涯を日本で送っている。
筑後川の船の運航を守ったオランダ人
幕末から明治にかけて、幕府はもちろんのこと、 全国各地の諸藩において、長崎のフルベッキの ような「外国人」たちが果たした役割は数知れない。 彼らの多くは、技師として、あるいは医師や軍人、 学者などとしてイギリスやフランス、オランダなど から招聘された。
佐賀藩10代藩主直正は隠居後に病弱となっ たが、その治療に長崎から訪れたのはオランダ医 ボードウィンであった。
また、佐賀の筑後川に残る「デ・レーケ導流堤」 も“日本の砂防の父”と呼ばれたオランダ人デ・ レーケによるものだ。母国で水理学・力学などを学 んだデ・レーケは、明治政府から招かれて来日。 当時水防にはまだまだ未熟だった各地の河川で、 砂防工事や河川改修などにその手腕を発揮した。 筑後川の河口にあるデ・レーケ導流堤も、土砂の 堆積から船の航行を守るために造られた6kmの 石垣である。
薩摩藩の近代化政策を支えたイギリス人たち
九州の南の雄・薩摩藩も、幕末には造船や製 鉄、紡績業といった近代産業の礎が導入された が、ここでもイギリスから招かれたイー・ホーム、シ ルリング・ホールド、ジョン・テットローら7名の技 師たちが活躍している。「尚古集成館」近くに建つ 「異人館」は、当時彼らが宿舎としていた洋風建 築物だ。
確かに、幕府をはじめ諸藩が招聘した外国人た ちには、その働きに対して高額の報酬も支払われた ことだろう。
しかし、彼らがそれぞれの仕事に傾注し、多くの 功績を遂げたのは、決してその報酬のみのためで はなかった。日本人の勤勉さ、向上心、礼節、それ らを信頼でき、彼らとともに新しい日本の産業や文 化、国土造りに参画したいという情熱が、外国人 たちを仕事に没頭させたのである。
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