「明治日本の産業革命遺産」を巡る旅を楽しむ3つのポイントとは?

ポイント1

「明治日本の産業革命遺産」の登録背景やスポットを知ろう

そもそも世界遺産とは?

 “国境を越えて、人類が共有し、受け継いでいくべき 「顕著な普遍的価値を有する」遺産” のこと。

世界中で、1031件登録されているよ!(2015年7月現在)
「明治日本の産業革命遺産」は”文化遺産”!
日本国内の”世界遺産”としては19番目、
”文化遺産”としては15番目の登録なんだ!

世界遺産には種類がある?

・文化遺産:建造物・遺跡・文化的景観など
・自然遺産:地形や生態系など
・複合遺産:文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えるもの

「明治日本の産業遺産革命」とは?

 岩手県から鹿児島県の8県11市に所在する23資産が、
幕末期の西洋技術の導入や、その後、国家主導で進めた
3つの重工業分野(「製鉄・製鋼」、「造船」、「石炭産業」)
の近代工業化の過程を示す資産として評価された。
 日本では初めての広範囲にわたる資産の登録であり、また、23資産中8つが現役で稼働中という点において、非常に珍しい世界遺産と言える。

今回登録された九州の世界遺産スポットは?

1.八幡やはたエリア(福岡県北九州市・中間なかま市)製鉄・製鋼

官営八幡製鐵所やはたせいてつしょ一般非公開

旧本事務所きゅうほんじむしょ・修繕工場・旧鍛冶工場かじこうじょう

明治維新後の産業近代化に伴い鉄鋼需要が高まる中、1901年、官営八幡製鐵所が創業。日本初の銑鋼一貫製鉄所であり、1910年には国内鋼材生産量の90%以上を賄うなど、日本の産業発展に大きく寄与した。現在でも、旧本事務所や修繕工場、旧鍛冶工場が残っている。
※現在稼働中の八幡製鐵所内にあるため、敷地内非公開。眺望スペースから見学可能。

遠賀川おんががわ水源地ポンプ室一般非公開

1906年、鋼材生産量を2倍の18万トンとする計画が立案されたのに伴い、工業用水不足を補うため、1910年、遠賀川から製鉄所まで水を送るためのポンプ室が完成した。動力は創業当時の蒸気から1950年に電気に変わり、現在もそのまま稼働している。
※現在稼働中のため、敷地内非公開。

2.三池エリア(福岡県大牟田おおむた市・熊本県荒尾あらお市・宇城うき市)石炭産業

三池炭鉱みいけたんこう宮原抗みやのはらこう万田抗まんだこう専用鉄道敷跡せんようてつどうじきあと)・三池港みいけこう

宮原坑三池港

1873年に官営化され、西洋技術を導入して開発された炭鉱。製鉄・造船など日本の産業の近代化を支えた。現在も、宮原抗や万田抗の竪坑たてこう、石炭を大型船で搬出するために築かれた三池港、各坑口と三池港・関連工場群をつなぐ専用鉄道敷跡などが残る。

三角西みすみにしきゅうこう

我が国の明治三大築港の一つ。内務省が招へいしたオランダ人水理工師ムルドルによる設計と日本の伝統的石工技術が融合した港で、1887年開港。三池港みいけこう開港までは、三池炭鉱みいけたんこうの石炭が三角西港を経由して海外に輸出されていた。現在も築港当時の姿をとどめている。

3.長崎エリア(長崎県長崎市)造船石炭産業

旧グラバー住宅

小菅修船場こすげしゅうせんば高島たかしま炭坑の建設・事業化、長崎造船所ながさきぞうせんじょの発展などの様々な分野で日本の近代化に貢献したトーマス・ブレーク・グラバー。1863年に建設された旧グラバー住宅は、日本最古の木造洋風建築で、グラバーの商談・社交などのビジネス拠点となった。

小菅修船場跡こすげしゅうせんばあと

1869年にグラバーと薩摩藩さつまはんによって建設された船舶修理施設。日本初の蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を装備した洋式スリップドック。地元では曳揚げのためのレールがそろばん状に見えることから、“ソロバンドック”と呼ばれている。

長崎造船所ながさきぞうせんじょ

第三船渠だいさんせんきょ一般非公開

1905年に建設された大型乾船渠かんせんきょ (ドライドック)。入り江の地形を利用し、背後の崖を切り崩し、前面の海を埋め立てて建設された。ドック建設時に設置された英国製の排水ポンプは100年後の今も稼働し、ドライドックの機能を現在まで維持している。

ジャイアント・カンチレバークレーン 一般非公開

長崎港の中央にそびえる1909年に日本で初めて建設された電動クレーン。1945年8月9日の長崎原爆や空爆などの被害を免れ、100年を過ぎた今も現役で稼働中。
対岸のグラバー園から、その勇壮な姿を見ることができる。

旧木型場きゅうきがたば

1898年、鋳物いもの製造の木型を製作するために建てられた、長崎造船所で現存する最古の建物。現在は、日本最古の工作機械「竪削盤けんさくばん」など、造船関連資料を約900点展示し、長崎造船所の歴史を紹介する史料館として一般公開されている。

占勝閣せんしょうかく一般非公開

1904年に第三船渠だいさんせんきょを見下ろす丘の上に建設された木造洋館。東伏見宮依仁親王ひがしふしみのみやよりひとしんのう殿下が宿泊された際に「風光景勝を占める」という意味で占勝閣と命名された。現在もほぼ創建当時の姿で残っており、三菱重工業㈱長崎造船所の迎賓館として進水式等で使用されている。

高島たかしま炭坑(北渓井坑跡ほっけいせいこうあと

グラバーらによって堀削が進められ、1869年に開坑。蒸気を動力とした巻揚機や排水ポンプなど、当時の最新技術が採用された日本初の洋式炭坑。高島炭坑の石炭生産技術は、旧来の技術を一新するもので、日本の炭鉱産業における近代化の先駆けとなった。

端島はしま炭坑(軍艦島ぐんかんじま

高島たかしま炭坑の技術を引き継ぎ、さらに発展させた炭坑で、炭鉱の島として開発された。1890年には三菱の所有となり、最盛期には約5,300人が暮らした。人口密度は当時の東京の約9倍。高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその島影から「軍艦島」と呼ばれるようになった。

4.佐賀エリア(佐賀県佐賀市)造船

三重津海軍所跡みえつかいぐんしょあと

佐賀藩が、海軍の人材育成及び西洋の船舶技術の獲得と実践を行う拠点として1858年に設置。国産初の実用蒸気船「涼風丸」の建造なども行われた。西洋技術と日本の伝統技術の融合により構築された国内最古のドライドッグが地下遺構として現存する。

5.鹿児島エリア(鹿児島県鹿児島市)製鉄・製鋼造船

旧集成館きゅうしゅうせいかん

反射炉跡はんしゃろあと・機械工場・旧鹿児島紡績所きゅうかごしまぼうせきじょ技師館ぎしかん
反射炉跡旧鹿児島紡績所技師館

薩摩藩さつまはんは1851年に反射炉の建設を開始。その周辺に溶鉱炉や蒸気機関の研究所などを作り、これらの工場群を「集成館」と名付けた。薩英戦争で近代化の必要性を感じた薩摩藩は積極的な西洋技術の導入を進め、日本の近代化に貢献した。

寺山炭窯跡てらやますみがまあと

反射炉・高炉・蒸気機関など集成館事業の発展とともに大量の木炭が必要となった薩摩藩は、集成館から約5㎞に位置する寺山に炭焼窯を建設。現在でも、1858年に堅牢な石積で築造された炭窯跡が、当時の姿を残して いる。

関吉せきよし疎水溝そすいこう

集成館の高炉などの動力として水が必要な島津家は、関吉から水を供給するための吉野疎水よしのそすいを築いた。島津斉彬しまづなりあきらは、1852年、吉野疎水から新たな水路を築く。関吉には、稲荷川いなりがわからの取水口跡が残っており、疎水溝の一部は現在も利用されている。

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