この名槍は代々朝廷が所有していましたが、室町時代に時の「正親町天皇」(おうぎまちてんのう)より室町幕府15代将軍・足利義昭に下賜されました。 その後、織田信長・豊臣秀吉へと時の権力者の手に渡り、豊臣秀吉から「賤ヶ岳の戦い」での一番槍・一番首の武勲に対しての褒美として福島正則に5,000石とともに「日本号」が下賜されました。 これよりは黒田節で有名になった経緯で、母里太兵衛の手に渡りましたが、その後は下記のような変遷の末、現在「福岡市博物館」に展示してあります。