2024年03月29日

おおいた和牛百年の物語 そしてこれからの百年へ

 九州の和牛と言えば、宮崎牛の圧倒的な存在とかごしま黒牛や佐賀牛®が思い浮かぶ。しかし、もちろん他県の畜産関係者も手をこまねいているわけではない。先に紹介した博多和牛や長崎和牛もしかり。そして大分県のおおいた和牛も、ブランド力に磨きをかけて追い上げてきた。そこには長い歴史をつなげてきた地道な努力がある。

日本初の和牛日本一の栄冠 歴代の種雄牛が引き継いで

おおいた豊後牛は雄大な大自然の中で育つ(写真提供:大分県豊後牛流通促進対策協議会事務局)

 大分県が「豊後牛」の登録規程を制定したのは大正年間の1918年。この年が大分県産和牛の歴史の始まりである。その3年後の1921年4月、東京で開催された「全国畜産博覧会」で種雄牛「千代山」号が一等賞に輝いた。この博覧会は中央畜産会が主催した日本初の畜産単独の博覧会であり、改良和牛10頭が出品した。いわば初の「日本一」を豊後牛が勝ち取ったことになる。大分県の畜産関係者は「牛は豊後が日本一」という幟を掲げて銀座をパレードした。
 さらに戦後、1953年に繁殖雌牛「みえ」号が、「第1回全国和牛共進会に」おいて農林大臣賞を受賞して日本一に。全国和牛共進会で初の日本一を再び博したことになる。「第2回全国和牛産肉能力共進会」では天皇杯(内閣総理大臣賞)を受賞。最近でも2017年の「第11回全国和牛能力共進会」において、種牛の部で日本一(内閣総理大臣賞)を受賞、全区で優等賞入賞、さらに総合で全国第3位と、千代山号から始まる栄光の歴史を繋いでいるのだ。

新しい百年への挑戦 「おおいた和牛」誕生

サシが効いても後味がさっぱりしているおおいた和牛。(写真提供:大分県豊後牛流通促進対策協議会事務局)

 2007年、大分県の畜産団体は県産肉用牛の普及拡大と流通促進を図るため、「大分県豊後牛流通促進対策協議会」を設立した。そして2013年に「おおいた豊後牛」が県内統一ブランド名に決まった。しかし、流通量の少なさもあってか、そもそも「豊後牛」の読み方を知らないなど、九州以外の地域での知名度の伸び悩みなどの課題もあった。そのため畜産農家や流通関係者、豊後牛を提供する飲食業者等と全国に通用するブランドを検討していった。そして、千代山号の快挙から百年後の2018年、この「おおいた豊後牛」のリーディングブランドとして「おおいた和牛」が誕生したのだった。知名度の高いブランド和牛に負けない、大分県のブランド和牛として全国に普及させる。生産者らの強い想いが込められた。

「おおいた和牛」と「おおいた豊後牛」  その違いを知って味わう

「おおおいた和牛」が「おおいた豊後牛」のリーディングブランドを表すピラミッド図。(提供:大分県豊後牛流通促進対策協議会事務局)

 従来の「おおいた豊後牛」の上位ランクが「おおいた和牛」。両者の違いを簡単に一言で言えば確かにそうだが、実は明確な違いがあるからこそ「おおいた和牛」の存在価値がある。
 「おおいた豊後牛」は「大分県内で最も長く肥育された黒毛和種の牛肉」と定義され、雌牛は未経産に限っている。その「おおいた豊後牛」のうち、「おおいた和牛」と表示できるのは4~5等級の上位等級の肉のみが対象だ。与えられる飼料は肉質のうま味成分を高める飼料米。またはビール粕を含む。とことん美味しさにこだわり、消費者にも顔が見える飼育を貫く。「おおいた和牛」は甘みのある霜降り肉で、その脂がさらりとしているので、食後感も重くならずにむしろ軽やか。
 百年の歴史を持つ実力ある「おおいた豊後牛」に加え、新たな百年の歴史を築く「おおいた和牛」が生まれたことで、大分県でそれらのお肉を食べる、買い求める楽しみが増えた。公式サイトではおおいた和牛のレシピも公開。その味の魅力を実感してほしい。

公式サイトのおおいた和牛サラダステーキ丼(写真提供:大分県豊後牛流通促進対策協議会事務局)
公式サイトのおおいた和牛のタタキ(写真提供:大分県豊後牛流通促進対策協議会事務局)