豊前(北九州市・小倉)と肥後(熊本市、八代市)の三つの都市は同根の一つのえにしを共有している。小倉と熊本は深いかかわりで結ばれている。
宮本武蔵とのかかわりのことではない。(武蔵を別にして)城主・細川忠興、忠利親子は二代32年にわたって豊前小倉城下を治める。後に忠利は(寛永9年)熊本城主となり、忠興は八代城主となる。豊前藩の後を継いだ小笠原忠真の妹は、.細川忠利の妻であり、両家の密接な関係は続く。文人・忠興は、小倉に、次いで八代でその治世に大きく文事を取り入れる。
上野焼、社寺の復興寄進、祭りの振興策、茶道の振興、街道の整備など、八代と小倉は共通項が多い。
西南戦争のときには、小倉連隊の乃木大将は熊本へ援軍を進め、熊本城を救った。後に小倉連隊の軍医になった森鴎外は熊本を舞台に作品を書いた。三つの都市の間に通じる“絆”を学ぶ旅。
(当然武蔵も絡んでくるが、武蔵は別項として挙げたので、ここでは省略)。
小倉0熊本0八代、この三つの城下町ほど深い関係のある都市はない。八代出身の宗祗は、小倉城下で盛大な連句大会を開いている。
忠興、忠利の墓も熊本に鎮まっている。
長州戦争の時は、幼い小笠原藩主は熊本城下へ難を避けた。
強い歴史上の結びつきがあることがあまり知らされていない。本来ならば「兄弟都市」のハズ。
熊本城、小倉城、ともに2007年には築城400年を迎えた。武蔵で、二都市間を結んだように、広域間交流のよしみをさらに深めて行きたい
福岡空港~(10分・地下鉄)博多駅~(20分・山陽新幹線)小倉駅~(20分・山陽新幹線+35分・九州新幹線)熊本駅
熊本駅~(40分・JR)八代駅~(25分・肥薩おれんじ鉄道)日奈久温泉
日奈久温泉~(25分・肥薩おれんじ鉄道)八代駅~(40分・JR)熊本駅~(50分・バス)熊本空港