明治10年(1877)の西南戦争から1世紀と少し経ったが、いまだに先祖の霊地を訪ね祈りを捧げる遺族の人が多い。殊に全県くまなく戦場となった熊本県下には、薩摩の人はもとより会津の人も後を絶たない。
祖先が散った地の巡礼の旅とでもいえよう。田原坂には両軍合わせての戦死者の名を14,162名刻んだ慰霊碑が建っている。
西郷軍が熊本へ進むルートは2つに別れた。西郷隆盛は加久藤峠を越えて人吉から球磨川を下り八代0川尻へ。別部隊は三太郎峠を越えた。
田原坂以後の薩軍は主として日向往還を御船0矢部へと辿り、馬見原↓人吉↓小林↓都城↓宮崎↓延岡↓(可愛岳)↓米良↓小林↓横川‥‥と、道なき道を辿り敗走して、やっと城山にたどり着く。
この間、西郷軍の足どりを、忠実になぞることは不可能に近い。官軍の目を逃れ殆どが山中の逃避行であったから。
せめてポイント、ポイントは訪ねてみよう。 × ×
何故、こんな変哲もない小山(田原坂)が天下分けめになったのか、何故、熊本城が落ちなかったのか。
当然の如き疑問も現地で学び知ると納得する。
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」の文庫版をポケットにし道中読みながら、解読しながら旅すると臨場感がグッと増す。
阿蘇くまもと空港~(50分・バス)熊本市~(40分・バス)植木町~(10分・バス+16分・JR)玉名温泉
玉名市~(約70分・JR+約40分・バス)人吉市~(約130分・バス)宮崎駅~(60分・JR)延岡市
延岡市~(30分・バス)北川町~(42分・バス+30分・JR)日向市~(約50分・バス+24分・JR)宮崎市~(約125分・JR)鹿児島市
鹿児島市~(60分・バス)鹿児島空港