民俗学の権威・柳田国男の名著「後狩詞記」は九州を旅したことから生まれた。
そのきっかけは阿蘇神社で見た「阿蘇の巻狩」の三幅の絵にあった。
当時法政局参事官だった柳田国男は明治41年5月24日から8月22日まで福岡〜熊本〜鹿児島〜宮崎〜大分を廻った。視察と講演の目的だったが、途中、椎葉へ足を踏み入れた。
きっかけは熊本である。熊本県議事堂で「農界の危機」と題して講演、その折り椎葉村のことを知った。阿蘇で「絵」を見た、「畠」と「畑」の違いを知らされた。椎葉への思いはつのる。
椎葉では村長・中瀬淳の家に五泊。
‥‥その間のことが「後狩詞記」となった。柳田ファンならずとも、旅好きな人にはたまらない。ロマン、興味にひかれて杖を引く、そして書き残す。うんちくの旅の基本の心構えのような旅の跡をひたすら旅しよう。柳田国男の心になりきって。
日本の民俗学の出発点といわれる「後狩詞記」を手許において、現地を、椎葉を、その視点でのみ辿る。彼が足を踏み入れた当時(明治41年)との時代の隔たりもある、山村、いや山奥の暮らしの変貌のすさまじさに、新しい発見も生まれることだろう。
阿蘇神社での巻狩についての伝承や詳細な資料や解説などとりあげると膨大な量になるので割愛することをお許し頂きたい。椎葉の現地に第一級の資料館、椎葉民俗芸能博物館があり解説スタッフが揃っている。地名も、伝統の農作業、山林作業も敢て残されている。その保存、研究、取り組み、発信の姿に尊敬してしまう。
ここでは柳田民俗学の起点ともいうべき椎葉にこもって学び続けるとよい。
都会の図書館、インターネットでは手の届かないリアリティーある現地が、学習の補助となってくれる。学び疲れたあとのカッポ酒と保存用の猪漬の味は一段と旨い。
阿蘇神社(阿蘇市)
かつて肥後一の宮と称され、阿蘇開拓の祖神健磐龍命をはじめ十二神を祀っている。農耕神として県内外に400社もの分社、末社を持っている由緒ある古社。現在ある社殿は天保6年(1835年)に細川氏によって再建された。
熊本空港~(20分・バス+60分・JR)阿蘇市~(50分・タクシー)久住町~(20分・タクシー)黒川温泉
黒川温泉~(15分・タクシー)南小国町~(140分・タクシー)椎葉村
椎葉滞在~(110分・タクシー)熊本空港~(約50分・バス)熊本駅