熊本から豊前小倉へ向うメイン街道を(熊本では)豊前街道と呼んでいる。
道は、道が向かう主要都市の名をつけて呼ぶ。いわば目指す方向の地名が街道名の頭に来る。
熊本〜小倉を結ぶこの街道は、歴史上重要なかかわりで結ばれている。豊前小倉城を築いた細川忠興(三斎)と、次の殿様細川忠利が、この道を下って肥後にお国入りし、肥後の殿様になった。(忠利は熊本城主、三斎は八代城主)。後に宮本武蔵もこの道を辿り忠利に仕えた。ずーっと時代は下って明治10年の西南戦争のとき、小倉から連隊は南下し熊本城を救った。
ゆかりは多いが、道は黙して語らない。
道が黙して語らないなら、歩いてみて、辿ってみて、道が閉じこめている記憶を呼び醒ましてみよう。熊本から小倉へ辿るもよし、小倉を起点にして熊本へ向うもよし。 宿場町は北から木屋瀬〜田代〜南関〜山鹿〜そして熊本となる。
この度の旅は、熊本から田代(鳥栖市)までとした。田代から冷水峠〜木屋瀬〜小倉(常盤橋)までは長崎街道と重なっている、同じ道筋である。長崎街道の項で述べているので割愛した。
ところで、道中の街・山鹿は豊前街道一の賑わいを呈している。昔からそうであったが、山鹿温泉と八千代座の復活で、交流人口や滞在人口が多くなった。
温泉という天然資源のみでなく、後世の人の汗が今日を築いてきた。町づくりの視点で、豊前街道の今に残る拠点を学び知ることは、多くの町づくりを志す人の参考になるだろう。
阿蘇くまもと空港~(約50分・バス)熊本市~(40分・バス)植木町~(30分・バス)山鹿市
山鹿市~(20分・タクシー)和水町~(15分・タクシー)南関町~(40分・タクシー)柳川
柳川~(15分・バス)大川市~(15分・バス)柳川~(17分・特急)久留米~(約10分・JR)田代~(約35分・JR)博多駅~(6分・地下鉄)福岡空港