藩政時代、熊本〜大分(鶴崎)を結ぶ主要街道は、(熊本側からは)豊後街道、大分側から呼ぶときは肥後街道と呼んでいた。
街道は、行く先の地名をつけて呼ぶのがならわし。従って、同じ道でも大分と、熊本とは呼び名が違うことを銘記しておかないといけない。豊後街道は熊本城下を発し、杉並木で有名な大津街道を通り、阿蘇北外輪の一端、二重峠から阿蘇谷へ下る。阿蘇谷では的石の茶屋、阿蘇神社〜一の宮町から北外輪を東へ越えて(坂梨)産山村〜竹田市〜久住町〜野津原〜鶴崎へのコースが豊後街道。肥後の殿様の加藤清正〜細川各藩主は参勤交代道として228年間97回利用した。(鶴崎からは船で瀬戸内海〜大阪〜東海道)
もう一方の道である豊前街道よりも豊後街道の方の利用が多かった。
要所要所に残る町の面影や石畳を踏みしめる。久住や阿蘇の景観は昔のまま。
豊後街道筋のあなた好みの場所を探すつもりでメモをとっていくとよい思い出に。
圧巻は熊本城下を出てすぐの武蔵塚。武蔵は参勤道中の殿を護りたいと遺言し、この道中、行列が見える場所に鎮まる。続く大津街道の道幅の大きさ。現在、国道57号と豊肥線がすっぽり収まっている。清正のケタ外れのスケールに驚き、改めて熊本城をふり返る。(昔は見えていたが、今はビルで見えないが)。
二重峠の石畳の工事にも細川藩の権勢が偲ばれる。最終地の鶴崎港(ここは肥後藩の飛地だった)そこの神社にある大きな絵馬はぜひ見ておきたい。海上に細川藩の船が波奈之丸を中心にひしめく。熊本城天守閣で見た殿の御座船の波奈之丸(模型)の絢爛さを思い起こす。
大分県へ入ると道の標識が「肥後街道」と変っていることに気づく。
道はアナログである。アナログの中に歴史を刻んでいる。デジタルだけでは、前後左右が判りにくいというが、まさにアナログの道を辿っているから、その言葉が実感できる。
熊本空港~(約50分・バス)熊本市~(37分・JR)大津町~(約45分・JR)阿蘇市
阿蘇市~(約30分・タクシー)産山村~(約20分・タクシー)竹田市〈久住町〉~(約30分・タクシー)竹田市
竹田市~(約60分・タクシー)大分市~(約15分・タクシー)大分市~ (約60分・バス)大分空港