週刊朝日に25年間に及ぶ「街道をゆく」の連載(1971〜96年)は、全く新しい「旅」の世界をつくりあげた。今から20〜30年前の「旅」でありながら、今もなお新しい。それは、その土地の歴史、風土、さらに突っ込んで地霊をふまえて書かれているからであろう。
司馬さんは、ただ美しいだけの景色に興を示さない。意味のある旅の中で、日本を、日本人を問い続けてきた。「余談だが‥‥」はその土地の分厚さを物語り、蘊蓄派の知的好奇心を刺激してやまない。
九州の中では「肥薩のみち」「肥前の諸街道」「島原・天草の諸道」「中津・宇佐のみち」「種子島のみち」それとこの「壱岐・対馬の道」がある。「壱岐‥‥」は1978年2月〜8月号に連載、昭和56年(1981)に単行本として刊行されているので、司馬さんのこの地への旅は今からざっと四半世紀昔のことである。
司馬さんは壱岐の農村文化と対馬の漁民文化との違いを説き、「人事文化」の例をタクシーの運転手に述べている。
——当時とは現地の趣きも大いに異なっている。島の変化の動きは早いことも旅を通じて学べる。
壱岐は勿論、当時交通不便の対馬のすみずみまで歩いた司馬さんは、最後の下りを、北端の佐須奈の老婆との会話で〆ている。
——「映画見物も病院も釜山であった。「歯は?」「年寄りは釜山で義歯をつくった」佐須奈には対朝鮮の遺跡は何もなかったが、この人をながめていると、佐須奈まできた甲斐があったような気もした」。——
文庫本を手に、繰り返し読みながら佐須奈まで行ってみよう——ではないか。
福岡空港~(約7分・地下鉄)博多駅~(15分・バス)博多港~(約120分・ジェットホイル)厳原~(約5分・タクシー)対馬市
対馬市~(約60分・ジェットホイル)壱岐市
壱岐市~(約70分・ジェットホイル)博多港~(20分・バス)博多駅~(約7分・地下鉄)福岡空港