筑豊炭田百年の歴史に登場するのはいずれも侠気に満ちた荒くれ男達であったが、その中にあってたった一輪、その名のごとく清浄と咲いたのが白蓮・柳原 子である。
九条武子と並ぶ閨秀歌人の双璧となった。九州の炭坑王・伝右衛門の後妻になった白蓮は贅の限りをつくして伝右衛門が福岡、別府に立てた別荘「銅(あかがね)御殿」を根拠に文化サロンを形成し、多くの歌集、詩集、小説、戯曲を世に問う華やかな活動を続けた。
宮崎龍介との運命的な出合いをきっかけに世紀の恋が始まる。2人は逢瀬を重ね、大正10年(1921年)の夏、京都で結ばれた。 子は身籠ったことを知り、出奔を決意する。同10年10月22日、大阪朝日新聞は「 子の絶縁状」を掲載した。これに対して大阪毎日新聞は「伝右衛門、 子に与ふる手紙」を掲載した。これが「世紀の恋」として一世を驚倒させた「白蓮事件」である。伝右衛門は世間が大騒ぎする中、憤怒を押えて事態を短期間に処理して世の賞賛をあびた。
全てのものを投げ打って、龍介のもとに奔った白蓮。受け止めた龍介は 子の死後「少なくとも私は伊藤や柳原の人々よりは 子の個性を理解し援助してやることが出来たと思っています」。
白蓮、龍介の故地(飯塚—荒尾市)に残るゆかりの建造物名品々に親しく接し、当時の世相に思いを馳せながらの旅——恋のひたむきさを、もう一度我が身におきかえて旅してみよう。
福岡空港~(約60分・JR)飯塚市
新飯塚~(約20分・JR)田川後藤寺~(約45分・JR)筑前岩屋(現在、運休中)~(約15分・タクシー)大行司~(約30分・JR)日田温泉
日田~(約50分・JR)久留米~(約35分・JR)荒尾~(約50分・JR)熊本~(約60分・バス)熊本空港