司馬遷の「史記」に描かれている徐福という人物の物語はおもしろい。「秦の始皇帝をだました男」という表題すらついているものがあるが、真実はどうだろう。謎に包まれているが、ともあれ日本各地で徐福の伝説はずっと生き続けている。生き続けるには、生き続けるだけの理由があるはずだ。謎は現地に行って、よく見聞きし、感じ、楽しむのが一番だろう。
上陸地もいろいろ伝えられているが、伝説と地理、地名を順に整理してみると、以下のような物語になる。
陸地に近づいた一行は、上陸地を占うため大きな盃を水に浮かべ流れていくところに決める。盃が流れ着いたところが、現在の佐賀市諸富の「浮盃(ぶばい)」。上陸した一行は生い茂る葦を払いながら(「片葉伝説」)進んでいき、次に上陸の証として徐福が植えたのがビャクシンの種(佐賀市諸富)。
一行の目的は、東方にあるとされる蓬莱、方丈、瀛州の三神山に住む仙人から不老不死の薬をもらうということにあり、さらに山を目指した。
どんな山が見えたのだろう。
そして、神山・蓬莱山と思って登ったのが金立山、山頂で仙人と出会い、霊薬をもらう。その薬というのはフロフキといわれている。
実は、金立山へは有明海ルートと別にもうひとつある。すなわち、伊万里湾から上陸し、黒髪山、武雄の蓬莱山、杵島三神山、稲佐山、竜王崎、寺井津、そして金立山というコース。
フロフキというのは、フロウフジがなまったものといわれているもので、カンアオイという植物。現在も煎じて飲めば、腹痛や頭痛に効果があるとされている。
ただ、物語はこれでおしまいにはならなかった。徐福はそのまま帰らず、「平原広沢の王となって中国には戻らなかった」と「史記」は伝えている。「平原広沢」というのは、筑紫平野のことかもしれない。徐福は九州に数年住みついた後、方丈、瀛州をめざし、南九州、四国、熊野、そして富士山で最後を迎えたという説もあり、八女・童男山でそこの人々に感謝して最後を迎えたという説も捨てがたいというのがわが九州派である。
福岡空港~(10分・地下鉄)博多駅~(20分・JR)二日市~(40分・JR)羽犬塚~(90分・バス)八女~(90分・バス)羽犬塚~(10分・JR)瀬高~(55分・バス+10分・JR)柳川~(30分・バス)諸富~(40分・バス)佐賀~(35分・JR+20分・バス)吉野ヶ里~(35分・JR+20分・バス)佐賀~(50分・バス)古湯
古湯~(50分・バス)佐賀~(30分・バス)金立~(30分・バス)佐賀~(40分・JR)白石~(20分・JR)武雄温泉
武雄~(20分・JR+15分・松浦鉄道)有田~(15分・松浦鉄道)伊万里~(40分・松浦鉄道)松浦~(40分・松浦鉄道)伊万里~(15分・松浦鉄道)有田~(20分・JR)三間坂~(20分・JR+20分・西九州新幹線)大村~(10分・タクシー)長崎空港