時に文永11年(1274)10月、蒙古は来た。
900艘の船と2万8千の兵で日本を攻めた。
対馬の西、佐須浦に上陸、守りの宗助国以下全滅、次いで壱岐、同じく全滅。蒙古の目標は太宰府である。博多湾内へ進攻。
博多湾には少武経資と大友頼泰――。
博多には九州各地から武将が駆けつけて戦った。博多の町は焼け野原になった。
その夜「神風」が吹いた。蒙古船は海に消えた。「文永の役」の大筋であるが、残されている資料は少ない。
次いで7年後(1281)の「弘安の役」。再度の襲来に供えた博多湾沿いには約20
kmにわたって土塁が築かれた。「元寇防塁」である。前回ほどの敗北はなかったものの、やはり苦戦であった。又しても「神風」が救った。語りつがれている物語は(戦時中の神国思想も加わって)多いが、今に残るは「防塁」の一部と東公園の亀山上皇、日蓮上人の記念像、史料館などと限られている。それらから当時を読み取っていこう。
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肥後の国(熊本)から馳せ参じ、勇敢に戦った菊池武房や竹崎季長や天草の大矢野三兄弟の故郷を訪ねて、当時に迫ってみよう。後に竹崎季長が論行功賞の証として描かせた絵巻「蒙古襲来絵詞」は唯一の元寇絵巻として教科書にもとり上げられている。
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