女王国に属した国の一つ、「不弥国」フゥビのフがとれて「宇美」。二つの大きな干潟の国とする。
神功皇后が新羅から筑紫の国に戻り応神天皇を出産したといわれる場所。安産・子安の神様として知られている。また、神社には安産信仰に関する伝説が多く、福岡県の有形民俗文化財に指定されている。
「伊都国」とされる。福岡県の恰土郡の中心地。かつて糸島半島は完全な島であった。
志登支石墓群(前原市) 弥生時代の墓地遺跡。ドルメンと呼ばれ、朝鮮半島に多く見られる。重さ1~2トンほどの巨石を、小ぶりの石で支え、その下に死者を葬るという構造の墓。甕棺や石器などの副葬品が出土している。
工業団地を造る計画が持ち上がる中、旧・佐賀県神埼郡神埼町・三田川町・東脊振村の 3 つの町村にまたがった弥生時代最大規模の環壕集落がこの地に確認された。邪馬台国時代の様子を彷彿とさせる建物跡などがあり、建物等が復元、歴史公園として一般公開されている。
川べりの国として筑後川をはさみ巴利国の対岸に当たる。筑後川の南側。
「躬臣国」の南に隣接した有明海沿岸の国。
円墳の装飾古墳。石室内部は保存屋で守られており、観察用の窓から石室の装飾文を観察することができる。奥壁の文様はベンガラの赤で施され、船や盾、幾何学文様が描かれる。
弥生時代の遺跡や、装飾古墳は菊池川流域、玉名郡周辺台地に多い。
「イゴ」は湯郷の意味。昔から山鹿は温泉地帯であった。
諫早市、島原市、長崎市を含む諫早湾沿岸一帯。宮崎康平氏は、島原半島こそ邪馬台国と推理する。
雲仙岳の南の台地にある大規模なドルメン。6基と40基の2群があり、完存していたものは日本ではここだけであり古代史上貴重。原山第三支石墓群は農村公園として整備されている。
島原市の島原城の一角に宮崎康平の石碑が静かに立っている。
旧島原藩主・深溝松平家ゆかりの寺。宮崎康平はここで静かに眠っている。