関門海峡のなりたち、歴史のすべてが学べる。大型の円形スクリーンに源平合戦や巌流島の武蔵の決闘などドラマ仕立の映像がよい。屋上からは海峡を行き交う船。ここで予習して出発するとよい。
壇ノ浦合戦の一年程前、大宰府に都落ちしていた平家は、現、門司に居を定めた。当時は(豊前柳ヶ浦と称していた)安徳帝の御所、「内裏」があった。この地が後の「御所神社」となる。現、大里の地名は「内裏」に由来する。
合戦が終わった。安徳天皇をお守りした平家一門は山つきに逃げる。源氏が追ってきた。天皇は田んぼのワラの山の中に隠れた。以来、この地を隠れ蓑と呼ぶ。今も当時を再現するお祭り「しびきせ祭り」がある。
五家荘の平家落人の祖は平清経。壇ノ浦での入水はみせかけ。清経は名を緒方に変え九州山地の奥へ。清経の曽孫が五家荘へ。緒方家には隠れ部屋がある。近くには平重盛の墓碑・供養塔がある。
山また山の奥地、球磨川の上流、(樅木川)に架かる吊橋。高さ60m、観光用ではない。土地の人の生活道路の吊橋。水は勿論豊富、人目につかない。山の幸、川の幸も豊か・・・平家一門の隠れ里であったに違いない。そう思えてくる。
矢部、通潤橋が見える国民宿舎に温泉が湧いている。五家荘ではイノシシ、シカ、ヤマメはじめ、山菜の味で満腹に。
道の駅ではイノシシやシカ肉を売っている。宅急便でおみやげにどうぞ。