山頭火の出発点・味取観音(植木町) 大正15年3月から約1年間、山頭火は味取観音で堂守をつとめ、朝夕の鐘をつき近郊の村を托鉢して廻った。 1年間も“定住”したことは、以後の彼の歩みから考えると異例に思える。
大正15年3月から約1年間、山頭火は味取観音で堂守をつとめ、朝夕の鐘をつき近郊の村を托鉢して廻った。 1年間も“定住”したことは、以後の彼の歩みから考えると異例に思える。
札の辻(ふだのつじ)は、幕府や藩の法令を掲げるための高札(たかふだ)があった場所。熊本の四大街道と言われる「豊前街道」「豊後街道」「薩摩街道」「日向街道」の起点はすべて新町1丁目御門前(現在の熊本城清爽園内)の「札の辻」からである。清爽園に元標跡の碑がある。豊前街道はここをスタートし、お城の中を通り抜けた後はほぼ国道3号を北上して行く。
豊前街道最大の宿場町としての栄えた山鹿。その繁栄のシンボルでもある八千代座は明治43年に建てられた。江戸時代様式の芝居小屋。老朽化していたが立派に復興した。歌舞伎・演劇など多彩な公演が開催されている。すぐ前には、資料館夢小蔵があり八千代座の歴史を辿ることができる。
山鹿、柳川温泉ともに歴史遺産No.7参照。