文永の役の経験を経た北条鎌倉幕府は、すぐさま九州の諸国に割り当てて、博多湾沿いに石築地(いしついぢ)を造らせた。元寇防塁と呼ばれる。福岡市の百道、生の松原、今宿、今津地区に石塁が残っている。(一部復元)防塁のあるところまで当時は海が迫っていたことの証にもなる。弘安の役の時はこの防塁が役立った。
日本三大八幡宮の一つとされている。平安朝の初め醍醐天皇により、国家鎮護のため創建された。応神天皇、神功皇后、神武天皇の母(玉依姫命)を祀る。
亀山上皇の「敵国降伏」の扁額を含む37枚の御宸筆が社宝として残る。
かつての古戦場、福岡市東区、東公園にシンボルのように建っている「敵国降伏」を祈願する亀山上皇の御姿を仰ぐ。像高約5m、鋳造に20年近くかかり、明治37年に完成。隣に、同時期に日蓮上人の立像が完成。こちらはさらに大きく、像高10.6m。手に経文を持ち、国難打破を一心に念じる姿があらわされ、台座は、蒙古襲来時の戦いのさまがリアルに浮き彫りにされている。
弘安の役の時、菊池武房をはじめとする菊池軍、僅か数騎で駆けつけた竹崎季長、天草の大矢野三兄弟の活躍が歴史に残る。因に、戦いの状況を克明に描いた「蒙古襲来絵詞」は当時を物語る大切な資料となった(石垣の上に菊池武房、馬上の人物は竹崎季長)。原本は宮内庁に。その写しが菊池神社に残る。その他蒙古軍の弓矢、鎧などの本物が展示され、元寇の歴史を伝えている。
八代市近くの、宇城市小川町は竹崎季長の故地。季長の墓も残る。地元の塔福寺には、菊池神社と同じく「蒙古襲来絵詞」絵巻物(写し)が伝わっている。
NHK大河ドラマ「北条時宗」(平成13年)以来、訪れる人が後を断たない人気だ。