貝原益軒が「筑前国続風土記」に記した通り、福岡城跡の一角に発見された海外要人の迎賓館的存在。大陸からの使節を接待・宿泊させる迎賓館であるとともに対外貿易の窓口でもあり、古代日本最大の国際交流拠点だった。その名は古代中国との交渉を司る「鴻臚寺」に由来し、「鴻」は大きい、「臚」は伝えるという意味がある。遺物出土品は展示館で見ることができる。
太宰府に赴任の途次、或いは太宰府から香椎宮への参拝はよくされていた。香椎での歌は多い。
福岡市街からほど近い島も万葉人の歌の対象になっている。島は船で渡れる。檀一雄が棲家とした。のどかな牧歌調の遊覧の島。 貝原益軒の予言通り、福岡城跡の一角に発見された海外要人の迎賓館的存在。万葉歌碑が建つ。
韓国まで49.5kmの近距離にある上対馬町。天気の良い日は韓国釜山市の町並みが望める。地理的にも歴史的にも深い関係にある韓国の古代建築様式を取り入れた展望所。
1615年に創建された対馬藩宗氏の菩提寺。壮大な墓所は日本三大墓地の一つに数えられ、徳川将軍歴代の位牌が安置され、朝鮮国王から贈られた三具足などを蔵する。
久田川河口に残る5基の船着場。旧藩時代の御用船を繋留するために作られた人工ドックで、寛文3年(1663年)に造られたといわれている。
663年の白村江の敗戦後、唐と新羅からの攻撃を警戒して、標高275メートルの城山に最先端の防御の地として築かれた城。山を取り囲むように、延長約5.4キロの石垣が残っている。
彦火火出見尊と豊玉姫命を祭る海宮。5つの鳥居のうち2つは海中に聳え、古くから竜宮伝説が残されている。本殿正面の鳥居は、潮の干満によりその様相を変え、遠く神話の時代を偲ばせる。
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