牧水生誕120年の2005年4月、牧水公園内に建設。
文学館は3つの展示室からなり、第1展示室には直筆の掛け軸、原稿、愛用品などの展示。第2展示室には同じ東郷町出身の詩人高森文夫の紹介、平成8(1996)年から始まった若山牧水賞(短歌文学の分野で傑出した功績をあげた人に授与される)受賞者の紹介。企画展示室では牧水賞とその受賞者について紹介しており、現代短歌の世界を展観できるようになっている。
牧水の祖父健海が1845年頃建築したもので、その後たびたび修復されているが、いろりや牧水が遊んだ裏山など、牧水の少年時代の姿をそのまま伝えている。
健海は、蘭学と医術を学び、天保7(1836)年から東郷町で医を業としました。なお、生家は史跡として県の指定を受ける。
生家の裏には、牧水の筆跡によって「ふるさとの尾鈴のやまのかなしみよ秋もかすみのたなびきてをり」の歌碑が刻まれている。
不朽の名曲「荒城の月」を作曲した瀧廉太郎が少年期を過ごした旧居が記念館になっている。この旧居は郡長に任ぜられた父吉弘が一家と居住することになった郡長官舎。竹田市の「歴史の道・散策の道」沿いにあり、付近も情緒深く整備されている。
瀧廉太郎は、少年期を山紫水明のこの竹田で修学した。岡城は絶好の遊び場であり、四季の移ろう自然の中から音楽の天分を育んだとされている。「花」、「箱根八里」などの名曲を作曲した後、ドイツへ留学。帰国の翌年、23歳10ヵ月の若さで夭折した。
海抜325mにある岡城阯は、文治元年(1185)緒方三郎惟栄が源義経を迎えるため築城したと伝承されている。天正14年(1586)から翌15年にかけて、島津氏が3万700人の大軍で3回に渡り攻撃したが、よく守り抜き落城しなかった。豊臣秀吉から「難攻不落の城」と感状3通を下賜した。別名臥牛城と呼ばれた岡城も、明治2年
(1869)版籍奉還後、城の建物は入札・払い下げによりすべてが取り壊された。瀧廉太郎はこの城のイメージにより、「荒城の月」を作曲したと伝えられている。
白秋記念館は、海産物問屋や造り酒屋として繁盛した白秋の生家(県文化財史跡)の奥に建てられている。2階には詩聖・北原白秋の写真や愛用品、童謡のレコード、自筆の書や絵など貴重な資料とともに詩業や生い立ちがわかりやすく展示されていて、在りし日の白秋の面影が偲べる。また、1階には柳川の歴史や人々の暮らしを伝える民俗資料などを展示している。水郷柳川や白秋の生涯などのビデオシアターもあり、楽しく見ごたえのある資料館となっている。