長崎は私の故郷ではない。だが数年前からこの街の古い時代を背景にした長編を考えはじめて以来、そして幾度となくここを訪れてから、長崎は私の心の故郷になっていった。
その長編『沈黙』が完成して二年たった今日でも、飛行機で大村につき、陽光にまばゆく光る海と島とをみる時、私の胸はあたらしい感動と憩いとに充たされる。長崎にむかう車のなかで、右手のそれら海と島、左にひろがる畠や石垣や部落や丘や山を食いいるように見つめ、遠い切支丹時代に、これら同じ風景を眼にした南蛮の宣教師たち、その宣教師たちの教えを信じた人々、さまざまな拷問にあわねばならなかった百姓や漁師たちのことを考える。それは日本の歴史のうちで我々の祖先がはじめて西欧とぶつかった時代のことなのだ。(略)
切支丹時代、この長崎とその周辺は、ヨーロッパ文化にぶつからねばならなかった。まともにぶつかったが故に、多くの迫害と多くの殉教とがあった。多くの苦しみと多くの血とが流れた。それから鎖国――その鎖国の間も日本が西欧の空気をほそぼそと知ったのは、長崎出島という小さな埋立地を通してであった。そして幕末から明治初期にかけて、ふたたび、この街は日本が西欧と交流する場所となった。
この本に私はあまり頭のいたくなるようなことを書く気持はない。ただ長崎という多くの文化的背景をもっている美しくも古い街を――そしてやがてあの原爆に燃えた街を、たんなるエキゾチックな眼だけで眺めるべきではないと言いたかったのである。人は奈良や大和を旅する時、その歴史を知ってから行くだろう。だが奈良にも匹敵すべき長崎を訪れる時、雨のオランダ坂やピエール・ロティの蝶々夫人だけではあまりに勿体ないような気がするのだ。
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長崎の歴史を知れば知るほど、それを学べば学ぶほど、この街の層の厚さと面白さとに感嘆した。更に私の人生に問いかけてくる多くの宿題も嗅ぎとった。それらの宿題のひとつ、ひとつを解くために私は『沈黙』から今日までの小説を書いてきたと言っていい。ここ十数年の間、長崎は私の心の成長に忘れることはできぬ街となった。おいしい養分を与えてくれる母胎となってしまった。
――後略――
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尚、遠藤周作には、長崎切支丹三部作として次の三つがある。この旅にはぜひこの三冊(新潮社文庫収録)を読んでいかれることをおすすめする。
旅の視点がぐっと深くなる。
「沈黙」
信徒に加えられる拷問の苦しみ、殉教か背教かの淵に苦しむ信徒、そのとき神は‥‥
「女の一生」 一部・キクの場合
信徒ゆえに罰せられる若者にひたむきな愛を寄せる娘・キク‥‥キリスト教と日本の風土とのかかわりと追求。
「女の一生」 二部・サチ子の場合
第二次大戦下の長崎、二人の若者の愛が戦争により引き裂かれる。激動の時代、信仰と恋と人生を生きたサチ子の一生‥‥。