このシリーズに「五足の靴」の九州ルートの旅を、それぞれ視点をかえてテーマとして選んだ。というのも、与謝野寛をリーダーとする北原白秋、吉井勇ら五人の詩人が、九州は博多をふり出しに佐世保~長崎~天草~阿蘇・・・の旅をして(明治40年)から今年が100年目に当たること。単なる紀行文ではなく、旅の物語が続いていること、なによりも詩人の感性が鋭いことから、旅する人のヒント、参考になればとの思いから。
この項では彼等が綴った佐用姫物語の記を読んで頂こう。物語が解り易くまとめられている。
‥‥松原を突切ると領巾振山が見える。左程高くはない平い山である。天平の頃山上憶良が肥前の国司として不平で堪らず、この辺をぶらぶら歩いたのだと思ふと非常に面白い。迂廻して山の背面から登る。午後四時頃の日が斜めにかんと照りつける。喘ぎ 急阪を登ること暫くにして顧れば視界頓に開け松浦川の流が絹の様に光る。前には領巾振山が緑の肌に衣も掩はず横はり伏す。最も左峰の山頂に松が見える、そこで佐用姫が領巾を振つたのである。まだまだ高い。少憩して再び登る。薄紫の撫子がすくすく咲いてゐてそのかみの美はしき少女を忍べといふ。優しいことである。男連れなれど趣味を解すと自ら思へる者の一行である。各一茎を摘む。うねうねした踏分道は容易に尽きぬ。徒に仰いで頂上の松を望む男は何れも息をはづませて居る。よくこんな山へ女の身で登つたものだ。恋するものは労力を味ふ暇がない。清水あつて草の間に湧く、掬べば濁れど冷い。喉渇けば交る 辛じて手にすくつて飲む。有るか無きかの泉も頓に元気を回復させるものである。憶良がこの山に登つた時この泉を掬んだらうと思ふ。眼を放てばそこらあたりに紅の百合が火の様に咲いてゐる。恋に燃ゆる佐用姫の心である。女郎花がある、男郎花がある、鈴蘭がある、昔の人を慰むるべく咲いて居る、都の人に送らうと摘んで美しき花環を作る。登りつめると池がある。頂きの端、老いたる松の唯一本立てる下に腰打ち下ろして四方を眺む、日はまだ高い、白い帆を下げた狭手彦の船が次第に遠ざかる、招けども帰らぬ、女は声を限りに「我が狭手彦」と呼ぶ、白い帆が微かに震ふ、女は領巾を外してひらひらと舞はした。緑の山に白い領巾が靡いてゐる、青い海に白い帆が走つてゐる。古への夢を今見て、一しほ趣が深い。彎曲した海の縁を取つて長く続くは虹の松原である。唐津の町が微かに見え二三の島が海上に点在する。(後略)