「音」の旅、漠然と旅に出たのでは勿体ない――と、北部九州編の前文に述べた。
× ×
昔、身の回りや、わがまちで耳にした音で今はない音はなんだろうか、ひとつ考えてみよう。
旅は汽車、汽車はSL、SLの腹に響く「ボワーツ」という野太い、いかにも「さあ!行くぞ」という音、「シュッ、シュッ‥‥」と吐く蒸気、あの人間臭い蒸気機関車の音は今はもうない。
家の中でも、やかんが沸く音もない。そういえば蒸気機関車の発明はジェームス・ワットが湯沸かしにヒントを得たからだった。
柱時計の「ボーン、ボーン」、今は少なくなった。
唱歌に歌われた鍛冶屋の槌打つ響き、軒先きの風鈴の妙なる音色、金魚売りの長く尾をひくよく通る声‥‥博多ではオキュウト売りの声も、いまはない。
これらの音は、日常の音だった、同時に時代の音でもあった。
こう考えたら、音は世代と共に遷り行くものでもあるのだろう。「音」の「自分史」「時代史」が綴れる。時代史が出来るなら、音の地方史、地方色もあっていい。
「残したい日本の音」の選定の意図もそんなとこにあるのだろう。
音の旅の意義は大きい。
取材・調査の結果をまとめると、まず音を文字で表現するのは至難だが「魂を揺り動かす」音といえる。眠っていた、己の奥にひそむ魂を揺り動かし、何かに気づかせる、生に目覚めさせる音である。電柱ほどの大きさの撞木で衝く。
この撞木は(4m、重さは200㎏。蓮華院の開祖・皇円上人が、龍となった伝説の池(静岡県桜ヶ池)の境内の神木(杉)で造られた。
通常は20本の綱をつけて、20人で撞木を引く。
ところで、「世界一の鐘」、直径九尺五寸(2.88m)。九尺五寸とは「抜苦(九)与薬」「離業(五)得脱」の御仏の言葉にちなむもの。重さは一万貫(37.5㎏)の超大型。
従って、鐘を撞くことで、祈願が叶うことから「満願=一万貫成就」ということになる。
「願いを込めて、祈りながら真剣に撞くことが大切です」。
鐘の音の周波数は「108」、NHKの調査で明らかになった。奇しくも百八つは煩悩を消す除夜の鐘と同じ数である。
どんな音か、あなたの耳で確かめよう。