歴史が一本の道を中心に呼吸しているー 九州を横に結ぶ豊後街道の旅、ぬくもりのある土の道、 石畳の道から生きた歴史が伝わってくる。 熊本〜鶴崎(大分)へ九州を横に結ぶ豊後街道は歴史も古い道である。 歴史の偉大な先達が拓き、民衆のエネルギーを集結して築きあげた豊後街道。それは大いなる文化の遺産であり、心の交流する強い絆でもある。
●寛永十二年(1635)、三代家光将軍が定めた武家諸法度で「参勤交代」を決め、妻子を江戸に置くこと。在国在府(江戸)各一年宛とした。
●初代肥後藩主細川忠利も、その年から参勤を始める。三月中旬までに熊本を出発、四月上旬に江戸着、翌年五月上旬に江戸を発ち六月上旬頃熊本着の旅をくり返し、十一代韶部まで二百二十八年に及ぶ。
●主なルートは豊後街道と豊前街道(熊本ー植木ー南関ー小倉)であった。
今市の石畳は立派なものだった
●豊後街道は鶴崎(大分市)まで三十一里122km。鶴崎から大阪まで御座船「波奈之丸」で大阪から東海道。江戸まで四十日から五十日前後かかった。
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