No.39の「“恋の華"柳原白蓮と“炭坑王"伊藤伝右衛門」の項を
参考にして下さい。
「いぶき館」交流棟として復元された建物は、もともとは筑豊の石炭王・伊藤伝右衛門が、現在の飯塚市にあった邸宅の一部を宝珠山村紙屋に移築して、宝珠山炭坑幹部社員の社交場「炭坑クラブ」として使ったものと伝えられてる。
伊藤伝右衛門が宝珠山村の炭坑を買収し、本格的な炭坑開発を始めたのは、明治45年(1912)のこと。以来昭和15年まで経営し、その後の23年間は橋上鉱業(株)、日本炭業(株)が経営した。
昭和38年(1963)に炭坑は閉山したが、その後「炭坑クラブ」は現在地に移築され、料理旅館「ほうしゅ山荘」として平成12年(2000)まで約30年間営業していた。
このように、「いぶき館」は炭坑でにぎわった大正・昭和時代から現代までの宝珠山の歴史を見守ってきた建物なのである。
佐賀県立九州陶磁文化館は肥前の陶磁器をはじめ、九州各地の陶磁器に関し、その文化遺産の保存と陶芸文化の発展に寄与するため、歴史的・美術的・産
業的に重要な資料を収集・保存・展示し、あわせて調査研究や教育普及の活動を行うことを目的として設立された。九州の陶磁器専門の施設として、陶芸文化に関する総合的拠点となる施設だ。