藻に和布刈るかな 雲屏
その夜、午後十一時ごろから、門司市内のバスが臨時に動いて、しきりと、客を北西の方にある和布刈岬に運んだ。霙でも降りそうな寒い晩だった。・・・・・
海峡は狭い。夜目にも潮の流れの速いことがわかった。海というよりも大きな河と錯覚しそうだった。
関門海峡トンネルは、この早鞆ノ瀬の下をくぐっている。
近代的な設備がふえても、これからはじまる和布刈神社の陰暦元旦の神事は、古来、変わることがない。それは何百年もつづいてきた伝承だった。
神事はきまって、旧暦の大晦日の真夜中から元旦の未明にかけて行われる。午前二時半ごろが干潮の時間だったが、同時に、この神事の最高潮でもある。
むろん、神事を拝観するだけの単純な人が多かったが、なかには、この夜の情景を俳句、和歌に詠みこむために会合が持たれたりした。はるばる東京や関西から、俳人が駆けつけるのも珍しくはなかった。
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神主たちは、巨大な竹筒の篝火を先頭に、狩衣の袖をまくり、裾をからげて、石段を降りてゆく。数千人の黒い観衆が、篝火に浮ぶ神主の姿に眼を集めていた。
この日は、午前二時四十三分が干潮時だった。
「時間の習俗」の冒頭部分を引用しました(新潮文庫)。克明な描写力と歴史的背景の説明は、リアリティ充分。まさに観光パンフレット以上のこまやかさだ。
彼の作品は、どれもしっかり土地を見据えている。旅が益々楽しくなる。