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2017年に世界遺産として登録された注目の「神宿る島」へ!

福岡県の玄界灘に浮かぶ沖ノ島は、遥かな古代より「神宿る島」として島そのものが信仰の対象であり、1600年もの間、厳格な禁忌によって 沖ノ島や祭祀遺跡はほぼ手つかずのまま現在まで守られてきました。2017年に世界遺産として登録された注目の「神宿る島」へ!

東アジアにおける交易の成功無事を祈った島 ─2017年登録「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群─

福岡県の玄界灘に浮かぶ沖ノ島は、遥かな古代より「神宿る島」として島そのものが信仰の対象であり、1600年もの間、厳格な禁忌によって 沖ノ島や祭祀遺跡はほぼ手つかずのまま現在まで守られてきました。

世界遺産としての価値

4世紀から9世紀の間、東アジアにおける海を越えた活発な交流を背景におびただしい量の貴重な奉献品を用い、交流の成功を祈る祭祀が沖ノ島で行われました。7世紀後半には、大島や九州本土でも沖ノ島と共通する古代祭祀が行われるようになり、宗像三女神への信仰が生まれました。
「神宿る島」に対する信仰を育んだ宗像地域の人々によって、厳格な禁忌や良好な景観とともに信仰は現在に至るまで受け継がれてきました。
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、『神宿る島』として信仰の対象である沖ノ島(宗像大社沖津宮)、沖ノ島を起源とする信仰の場である宗像大社中津宮、宗像大社辺津宮、古代の沖ノ島を担った宗像氏の墳墓群である新原・奴山古墳群、渡島が厳しく制限されている沖ノ島を遠くから拝む宗像大社沖津宮遙拝所からなります。
これらの5つが一体となっている「『神宿る島』」宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、「神宿る島」を崇拝する伝統が古代から今日まで発展し継承されてきたことを物語る稀有な物証です。
 

宗像大社沖津宮(沖ノ島)

写真提供:宗像大社
沖ノ島の森にたたずむ沖津宮。古代祭祀の場であった巨岩群の間に社殿が築かれています。
沖ノ島は遥かな古代より『神宿る島』として島そのものが信仰の対象であり、4世紀から9世紀にかけて大規模な古代祭祀が行われました。
1600年もの間、下記のような厳格な禁忌によって 沖ノ島や祭祀遺跡はほぼ手つかずのまま現在まで守られてきました。(女人禁制)
●通常、沖ノ島への立ち入りは禁止されています。
●不言様(おいわずさま)…沖ノ島で見たり聞いたりしたことは一切口外してはなりません。
●島から一木一草一石たりとも持ち出してはなりません。 
●禊(みそぎ)…十日交替で島に常駐する神職であっても、必ず着衣を全て脱いで海に浸かり心身を清める禊をしなければ、島内に入ることは許されません。
●島内で四足の動物を食べてはなりません。

宗像大社沖津宮遙拝所

沖津宮遙拝所(おきつみやようはいじょ)は、島そのものがご神体であり、厳格な禁忌により通常渡島が禁止されている沖ノ島を遥拝(遥か遠くから拝むこと)する場所です。
晴れて空気の澄みきった日には、ここからはっきりと沖ノ島を望むことができます。
 

宗像大社中津宮

中津宮(なかつみや)は、沖津宮・辺津宮とともに宗像大社を構成する三宮の一つです。
大島で最も高い御嶽山山頂(224m)では沖ノ島と共通する祭祀が行われていました。
現在、その場所には御嶽神社が建ち、参道で中津宮社殿と結ばれています。
中津宮社殿は、県の有形文化財に指定されており、宗像三女神の一柱である湍津姫神(たぎつひめのかみ)が祀られています。

宗像大社辺津宮

辺津宮(へつみや)は、宗像大社を構成する三つの宮の一つで、宗像三女神信仰の中心地です。旧入海に面した宗像山中腹では沖ノ島と共通する祭祀が行われていました。
遺跡の一部は高宮祭場として整備され、現在も神事が行われています。現在の本殿・拝殿は16世紀末の再建で、国の重要文化財に指定されています。
宗像三女神の一柱である市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られています。

新原・奴山古墳群

新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)は、沖ノ島祭祀を行った古代豪族宗像氏の墳墓群です。優れた航海術を持ち、対外交流に従事した宗像氏は、5~6世紀にかけて入海に面した台地上に墳墓群を築きました。前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基の計41基が現存しています。新原・奴山古墳群からは、沖ノ島へと続く海を一望することができ、沖ノ島に対する信仰を支える宗像地域の人々の存在を証明します。
その他、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」についての詳細は、こちら のリンク先をご覧ください。
まだまだ九州には世界遺産施設が多数あります。
「九州の世界遺産」に関しては、こちら のリンク先をご覧ください。
 

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