黒田官兵衛と九州

黒田官兵衛とは

戦国の英雄たちをも魅了!九州ゆかりの稀代の知将

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という3人の天下人に仕えた黒田官兵衛(孝高)。戦わず交渉で敵を降伏させるという希有な才能に長け、軍師として秀吉の天下統一に大きく貢献しました。また、福岡城の築城や町の区画整理に関わるなど、福岡にゆかりがあります。

官兵衛は1546年、播磨国の姫路で小寺氏の家老・黒田職隆(もとたか)の嫡男として誕生。1567年に家督を継ぎ、翌年には嫡男の長政をもうけました。1575年、毛利輝元と織田信長が勢力を拡大するなか、信長に味方するよう主君・小寺政職にいち早く進言。使者として岐阜城を訪れた際に、信長から褒美として刀名物「圧切長谷部(へしきりはせべ)」を授かっています。秀吉の配下に入ると1578年、信長に謀反を起こした荒木村重を説得するため単身、有岡城(兵庫県)へ。1年もの間幽閉されてしまいますが、団結した家臣たちにより奇跡的に救出されました。

復帰後は、1581年に兵糧攻めで鳥取城を攻略、1582年の高松城攻略では水攻めを提案するなど名軍師ぶりをいかんなく発揮。本能寺の変に伴う「中国大返し」では、軍列の後陣で敵襲に備える殿軍を担いました。1586 年から始まった九州平定では、島津義久の軍勢との戦いで勝利に貢献。秀吉から豊前6郡を授かり、領内の統治を目指します。しかし、宇都宮鎮房(しげふさ)を中心とした豊前の国人が蜂起。幾度もの合戦の末に鎮房を降伏させると、1588年に拠点を中津(大分県中津市)に定め、中津城の築城を開始します。1589年には家督を長政に譲り如水と改名。1590年、天下統一の総仕上げとなった小田原攻めでは、北条氏を説得し無血開城させるという功績を立てました。また、1592年の朝鮮出兵の際には、秀吉から拠点となる名護屋城(佐賀県唐津市)の設計を命じられました。

秀吉の没後、黒田家は徳川家康に従います。1600年、官兵衛は石垣原の戦い(大分県別府市)で大友軍を撃破し九州を席巻。関ヶ原の戦いでは、長政が家康の勝利に大きく貢献しました。長政に筑前52万石が与えられると、官兵衛と長政は筑前国(福岡)へ。名島城(福岡市東区)に代わる新城として福岡城の築城に着手します。しかし官兵衛は完成を見ぬまま59歳で1604年に逝去。崇福寺(福岡市博多区)に葬られました。

黒田官兵衛の人物像

義理を重んじ、戦国の世には珍しく人を討つことを嫌った官兵衛。猛将として名を馳せた「黒田二十四騎」を取りまとめるなど家臣から慕われただけでなく、その人徳は敵軍からも称えられていました。秀吉の信頼も厚く、1577年の中国攻めの際には「おまえは弟の小一郎(秀長)と同じように心安く思っている」という直筆の手紙が送られたほどです。

しかし、その類い稀なる才知は秀吉から警戒されるようになります。九州平定の功績として小早川隆景が70万石を与えられたのに対し、官兵衛はわずか12万石でした。実は天下取りの野心を抱いていたとの見方があり、関ヶ原の戦いで困憊した徳川軍を一気に攻める手はずを整えていたとか。しかし僅か1日で決着が着いたため、その野望はついえてしまいました。

そんな官兵衛も妻に対しては一途。1567年、小寺政職の姪・櫛橋伊定(くしはしこれさだ)の娘の光(てる)を妻に迎えました。側室をもつことが当たり前だった時代にも関わらず、官兵衛は光だけを愛し続けたのです。

九州との関わり

1586年、九州征伐の先鋒として九州入りした官兵衛は、豊前の諸城を攻め落とします。戦功として1587年、豊前6郡と馬ヶ岳城(福岡県行橋市)が与えられました。拠点とした中津には、城下の守りを強化するための土塁「おこかい山」、姫路町や京町といった町名など黒田時代の名残りが至る場所にあります。一方で、秀吉の命により博多の復興事業「太閤町割」にも携わりました。この区画整理によって町筋ごとに「流(ながれ)」という集合体が形成され、博多祇園山笠など大規模な祭事は現在もこの流単位で行われています。

関ヶ原の戦いが終わると、西軍に属した太田一吉の臼杵城(大分県)や毛利勝信の小倉城(北九州市)などの諸城を落としていきました。その後、福岡藩主となった長政が名島城に入城し、官兵衛は博多の宗湛町(博多区綱場町、店屋町)に仮住まいします。翌年、福岡城の築城に着手すると太宰府天満宮の鳥居の東に移住。この時に使用した「如水の井戸」は現在も境内に残っています。

晩年は、築城中の福岡城内の一部(現・舞鶴公園)に住居を構えました。今は牡丹・芍薬園になっており、「黒田如水公御鷹屋敷跡」の石碑が立っています。1604年に京都伏見藩邸で逝去。崇福寺の黒田家墓所(市指定史跡)には12基の石塔が並び、長政をはじめとする歴代藩主やその一族らと共に、博多の繁栄を静かに見守っています。

  • 官兵衛・長政の築城の歴史
  • 官兵衛の軌跡をたどるアクセスマップ
  • 官兵衛ゆかりの地を巡るモデルコースの紹介
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