こんなにあるの?!ディープな九州隠れ古墳10選巡り

ちぶさんこふん

チブサン古墳

古代ロマン度(おすすめ萌え度):★★★☆☆
古墳にコーフン度(美しさ度):★★★★☆
イケフン度(知名度):★★★★★

竹原古墳・王塚古墳と並び称される装飾古墳の傑作!

チブサン古墳の画像

精緻に構築された石室と華やかに彩られた埋葬施設

国史跡/前方後円墳=墳丘長約55メートル/後円部の高さ約7メートル
築造=6世紀前半
チブサン古墳の埋葬施設は後円部に造られた九州型横穴式石室と呼ばれる構造です。その石室の奥、玄室奥壁に設けられた石屋形の壁面は、赤・白・黒(青?)の3色で大胆に色付けされた円や三角、菱形などの装飾文様(もんよう)で埋め尽くされています。
石室の壁面は大小の石を組み合わせて精緻に積み上げていき、上に行くにしたがって内側へ傾けて丸天井を形作り、天井部には大きな石が被せられて安定が図られました。
1972年(昭和47年)には保存修理の一環で石室を修復、その3年後に密閉保護観察施設を設置、現在も石室内の温湿度を管理しています。
残念ながら現在、古墳は公開中止中ですが、実物大のレプリカは熊本県立装飾古墳館で見学可能です。

住所
熊本県山鹿市城字西福寺
関連リンク
熊本県山鹿市ホームページはこちら (外部リンク)

動画

岡本太郎氏も評価した色鮮やかな幾何学文様に装われた鎮魂の空間
古墳の内部、石室の奥に設えられた石屋形(死者を安置した施設)。その壁面にカラフルな幾何学文様が描かれたチブサン古墳は、国内有数の装飾古墳として知られています。不可思議な文様が意味するものには諸説あり、未だ結論は出ていませんが、目の当たりにすれば、色の洪水ともいうべき古代人の色彩感覚と壁画の生命力に圧倒されることでしょう。
装飾古墳の壁画が放つ魅力について、日本が誇る天才画家・岡本太郎は「その土地で、その共同体の中から、自然に、そして切実に生まれてきた表情だ。(装飾古墳の壁画は)より根源的な意味と、強烈なひろがりをもっているのである」(朝日新聞社刊『装飾古墳』序文より抜粋)と語っています。
原初芸術ともいうべき古墳アート。見ておいて絶対損はありません。

チブサン古墳の玄室と石屋形の画像

チブサン古墳の玄室と石屋形。画像は熊本県立装飾古墳館に展示中のレプリカ。

乳房に見立てられた二つの円は何を意味する?
「チブサン」の名前の由来となった二つの円。これが乳房にも見えることから、「お乳の神様=チブササン」と呼び習わされてきたのが、いつしか転訛して「チブサン」になったといわれています。江戸時代から明治にかけて信仰を集めたようで、香華が絶えなかったといいます。
しかし元よりこの二つの円は乳房を描いたものではなく、よく見てみるとその上にも二つの円が描かれているようにも見えます。円は鏡あるいは太陽を表しているとする説もありますが、実際はどうなのでしょうか?定説はまだありませんが、多くの研究者は、円文(えんもん)も含めたこれらの幾何学文様が呪術的な意味を持つと考え、魔除けや鎮魂の意義から描かれたとしています。しかし『点と線』や『砂の器』などを書いた国民的大作家・松本清張は、生前、これらの文様の呪術性を否定し、古代における文様は現代の壁紙と同じものだとして、生活の中の装飾だったと主張しました。
果たしてこれら幾何学文様の本当の意味とは? あなたが見つけた答えが定説になるかもしれませんよ。

チブサン古墳の石屋形の正面奥壁の画像

チブサン古墳の石屋形の正面奥壁。

異形の人物像の正体は?
円や三角、菱形などの幾何学文様に混じって、石屋形の右側壁には変わった人物像が描かれています。両手を挙げて左右に広げ、両足を踏ん張って大の字に立つ人物。頭上は冠を被っているのか、3本の角のようなものが天へ向かって伸びています。
果たしてこの人物はどういう人物なのでしょうか?現代でいうヘタウマ?それともどこかの海外の壁画に描かれた巨人について噂されるような宇宙人?いえいえ、常識的に見て、恐らくこれは被葬者を守護する、冠を被った武人であろうと考えられています。人物の上に描かれた円文は鏡、あるいは日輪(太陽)だとすれば、いずれも悪しきものや闇を祓う力を有しており、被葬者の安らかな眠りを守ることになるのです。

石屋形の左側壁に描かれた人物像の画像

石屋形の左側壁に描かれた人物像。(写真右側参照)

チブサン古墳の後継者の墓 オブサン古墳
チブサン古墳のすぐそばにあるオブサン古墳は、墳丘の直径約22メートル、高さ約4メートルの円墳。1922(大正11)に国史跡に指定。築造は6世紀後半と見られ、7世紀前半まで追葬が行なわれたようです。築造時期からして、チブサン古墳に後続する首長の墓だと考えられています。
特徴的なのは墳丘が円の形に収まらず、裾が張り出していること。全国的にも珍しい形状です。内部は前室を持つ九州型横穴式石室。また、石室内部に装飾が施されていた痕跡がかすかに残っていますが、残念ながら肉眼では現在ほとんど確認できません。
なお、「オブサン」の名は左右に伸びた墳丘の裾がお産のときの姿勢に似ていることが由来とされ、かつては安産祈願の信仰を集めたと伝えられています。チブサン、オブサン、どちらも親しみやすいかわいい名前ですね。

チブサン古墳周辺の空撮の画像

チブサン古墳周辺の空撮。

オブサン古墳の外観の画像

オブサン古墳の外観。石室入口を包むように、墳丘の裾が手前に伸びた特徴的な形状をしています。

古代の岩壁アート 鍋田横穴群
チブサン古墳の近くには、崖を掘削(くっさく)して造った61基の墓室からなる国史跡の鍋田横穴群(なべたよこあなぐん)があります。
人工的な墳丘(塚山)を持たない横穴なので、厳密には古墳とは異なりますが、古墳時代(3から7世紀)の墓制(墓の作り方)の中では古墳に準じた古墓(こぼ)として扱われます。古墳時代後期から終末期(6から7世紀)に古墳と併行して造られていること、副葬品が古墳に共通していること、また横穴が古墳における埋葬施設(石室)と同様の性格を持つことなどがその理由です。
横穴墓61基のうち16基には人物や武具のほか、動物が浮き彫りで装飾されています。例えば第27号横穴墓の左外壁には、外魔をはら祓うためか、あるいは死者の魂を鎮めるためか、右手に剣を持った人物や弓、靱(ゆぎ・矢筒)などが掘られているのを確認できます。また、かつては穴の右外壁にも装飾があったようで、久留米藩の国学者・矢野一貞が1849年(嘉永2年)にここを訪れた際にスケッチしたと伝わります(『筑後将士軍談』)が、壁面が崩れてしまったらしく、現在装飾は残されていません。
岩壁に刻された古代のアート。少し足を伸ばして訪れてみてはいかがでしょうか。

横穴墓の浮き彫り装の画像

鍋田横穴群の第27号横穴墓の浮き彫り装飾。右手で剣を持つ人物の左の「十」のように見えるのが靱。

第27号横穴墓の外観画像

第27号横穴墓の外観。

コロナ感染防止のため、古墳の見学や入場が制限される場合がございます。予めご確認下さい。


山鹿の定番おやつ&お土産・山鹿羊羹
山鹿地区を代表する名物おやつ・山鹿羊羹は一般的にイメージする羊羹とは一線を画す控えめな甘さのこし餡を、うるち米を蒸して作った牛皮で包んだ和菓子。独特の形から昔は巻き羊羹と呼ばれていた、昔から地元で愛されているおやつです。

山鹿ようかん.の画像

アクセス

電車で行く場合

(公共交通機関の場合)JR鹿児島本線・新玉名駅→九州産交バス約50分→山鹿バスセンターから南関ターミナル行(平山温泉経由)「石村」バス停下車後、徒歩10分

車で行く場合

九州自動車道・菊水インターより約20分