西郷どん

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西郷どんって?

西郷どんプロフィール

  • 実は西郷隆盛の写真って1枚も残ってない…だって。写真嫌いだったそう。
  • お酒が一滴も飲めず、甘いもの脂っこいものが大好物で肥満化。
  • ダイエット目的で愛犬を連れていたとか。
  • ※諸説あり

西郷どんって、何をした人なの?

 鹿児島から出た幕末のヒーロー・西郷隆盛は、同じく鹿児島出身の大久保利通、山口県出身の木戸孝允とならんで、「維新の三傑」の一人にあげられるほどの最重要人物です。
 当時の日本は、それまで250年くらい続いていた江戸幕府の力が弱くなり、外国から大砲を載せた軍艦もやってくるようになって、平和な世の中を保てなくなるんじゃないかと多くの人が不安になっていました。そこで頭のいい人たちがいろんな知恵を出したり、血の気の多い若者は刀を振り回したり、みんな「オレが、オレが!」といってケンカばかりしていたので、不安はさらに大きくなっていました。
 そこへ「一緒に新しいニッポンをつくろうよ!」と団結をうながしたのが土佐出身の坂本龍馬で、手を取り合ったのが薩摩藩代表の西郷どんと長州藩代表の木戸孝允でした。薩摩と長州、この二大勢力の軍隊をまとめ、抵抗する幕府軍を追いつめた、その先頭に立っていたのが西郷どんなんです。幕府の本拠地・江戸城を攻めた時には、幕府方の勝海舟と話し合って江戸の町を戦火から救ったという慈悲深いエピソードがあるところも、西郷どんが真のヒーローたるゆえんでしょう。

西郷どんはなぜ、みんなに人気があるの?

 身体が大きいばかりでなく、人としての器量がとてつもなく大きかったからです。
 幕府軍と戦った戊辰戦争でヒーローになる前、2度の自殺未遂と2度の島流しを経験しています。1度目の自殺未遂は、自分をかわいがってくれた薩摩藩のお殿様・島津斉彬が急死してしまった時に後を追おうとしましたが、京都・清水寺の月照というお坊さんに「生きて、斉彬公の遺志を継ぎなさい」といわれ、思いとどまりました。2回目は、その月照が幕府に追われ処刑されることになったので、一緒に海に身投げをしてしまったのです。その後、西郷どんだけが奇跡的に助けられましたが、幕府の追求を怖れた薩摩藩は、奄美大島行きを命じました。
 結局、3年ほど奄美大島で生活し、いったんは鹿児島への帰郷を許されますが、当時藩の実権を握っていた斉彬の弟・島津久光と折りあいが悪く、徳之島、さらに最果ての沖永良部島へとまた流されてしまいました。
 その時「自分にはまだやり残した使命があるから、天によって命を助けられたのだ。天が自分を生かしてくれているうちは、愛する家族のため、鹿児島のため、そして日本のために命をかけて働かなければならない」と、奄美の青い海を見ながら悟りました。その後の人生は、いつも「世のため、人のため」へと向けられ、一国を動かす大きなエネルギーを産み出したのです。

西郷どんは、悲しい最期をとげたの?

 西郷どんが、明治新政府に対して叛旗をひるがえした西南戦争と呼ばれる戦いがあります。西郷どんは日記を残していませんし、口数も少ない人だったので、その真意はさだかではありませんが、幕府を倒すためにともに戦った武士たちの多くが、新しい明治の世の中になって行き場を失ってしまい、そうした武士たちの不満を一身に背負って、行き着いた先が西南戦争だったようです。
 西郷どんの座右の銘は「敬天愛人」。天を敬い、人を愛し続けるということです。自分のことを慕ってくる人がいるかぎり、その人たちのために尽くして、死ぬなら本望。それが天命であるという生き方を貫きとおしたのが、西郷隆盛という人です。戦争をしなくちゃならないと心に決めた時、西郷どんは部下たちに「わしの体は、オマエたちに差し上げもんそ」といったといいます。この短い一言に、まさしく西郷どんの生き様が凝縮されているのではないでしょうか。

年表

西郷どんのゆかりの地を巡るモデルコース

西南戦争激戦跡!
西郷隆盛終焉の地を歩く(まち歩き)
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西南戦争の激戦跡と、西郷隆盛の終焉の地など数多くの西郷さんゆかりの史跡が残る城山エリアを歩いてめぐる旅。
明治維新のふるさとを訪ねる旅
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明治前夜の激動の時代を駆け抜けた薩摩藩士の軌跡を訪ねる1泊2日の旅。
西郷隆盛を偲び西南戦争
最後の激戦地、城山を巡る。
西郷隆盛を偲び西南戦争最後の激戦地、城山を巡る。
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西南の役の戦場となった城山周辺を歩きながら、薩摩の英傑西郷隆盛に思いを馳せるコースです。
"薩摩が生んだファーストレディ"
篤姫ゆかりの地を歩く
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江戸時代、徳川家第13代将軍家定の御台所となり、時代の変革の中を、まっすぐに生き抜いた、天璋院篤姫のゆかりの地を歩くコースです。
鹿児島城(日本100名城)と
薩摩77万石の城下町
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鹿児島城は古くから”鶴丸城”の呼名で多くの人々に親しまれています。お城や城下町の雰囲気を感じながら古地図片手に巡るコースです。
歴女のための
戦国武将&幕末の志士めぐりコース
歴女のための戦国武将&幕末の志士めぐりコース
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熊本が誇る戦国武士と鹿児島が生んだ幕末の志士のゆかりの地や文化遺産などを織り交ぜた2県にまたがる3日間のコースです。

西郷どんのゆかりの地

鹿児島県

熊本県

宮崎県

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