種子島は海外の文化の受入れ口として重要な役目を果たしてきた。キリスト教の最初の伝来地も種子島である。そして、フランシスコ・ザビエルは種子島を経て天文18年、鹿児島港に上陸しているのだ。その後のキリスト教や海外文化の窓口を北部九州に譲ることになるが、種子島は海外文化受け入れの地であり、事実上の玄関口である。
さて、天文12(1543)年、種子島門倉岬に漂着したポルトガル人らによって日本に初めて鉄砲が伝えられた。このことは日本の歴史を大きく変える出来事となるが、伝来の地が種子島であったことは、その後の鉄砲の伝播に深く関わっていくことになる。
まず種子島では良質の砂鉄がとれ、鉄砲伝来以前から製鉄が盛んに行われていたこと、またそのために鉄砲製造を模倣できる技術者がいたこと、理解のある有能な領主がいたことなどである。その後、鉄砲そのものが「種子島」と呼ばれていたほど、象徴的で切り離しがたい関係になっていく。
× ×
織田信長による長篠の戦いが鉄砲の実戦使用としては有名だが、実はそれより早い天文23(1554)年姶良町平松の地で行われた岩剣の戦いが日本で実戦「初」使用である。
これは後に関が原の戦いで東軍に囲まれながらも敵中突破を果たした島津義弘の初陣でもあった。このように鉄砲伝来の地と実戦初使用の地はどちらも鹿児島であった。
こういう意外と知られていない「鉄砲」にまつわる物語を訪ねる。
鹿児島空港~(60分・バス)鹿児島中央~(30分・JR)加治木~(8分・JR)姶良~(約30分・JR)鹿児島中央駅
鹿児島中央駅~(約30分・バス)鹿児島港~(95分・ジェットフォイル)西之表港~ (10分・タクシー)西之表市
南種子町~(60分・タクシー)西之表港~(95分・ジェットフォイル)鹿児島港~(20分・バス)鹿児島中央駅~(20分・タクシー)鹿児島空港