(角川春樹事務所刊
山青き神のくに 後藤俊彦著)
高千穂地方では猪を神に供えてお祀りをする獅掛祭というのがある。このことと、神楽について高千穂神社・後藤俊彦宮司は次のように述べている。
この猪掛祭は別に、"笹ふり神事“とも呼ばれているのだが、この祭りで奏せられるのが「地祗の舞」である。この神楽は、御幣を結んだ竹笹を両手に各一本ずつ持ち、左右左、右左右と左右に振り、中央で拝しながら神歌(鬼八眠らせ歌)を呪文のように唱える歌舞で立姿と座姿との二つがある。この歌は、
しのべやたんぐあぁん さありやさそふ まあどかや ささふり たちばな
というものでいかなる歌意とも聞きとり難いが、古歌としてまことに趣き深い歌である。笹を神楽の採物として用いたのは天宇受売命が、天香具山の小竹葉を手草に結いたという岩戸舞が起源とされ、神楽譜本方の採物の歌にも、
この篠は いずこの笹ぞ あめにます とよおかひめの みやのみささぞ
とある。又、万葉集では「神楽波浪」を「ささなみ」と訓ませ、「神楽良能小野」を「ささらのをぬ」とも訓ませていることから、笹振り神事とは上代においては神楽そのもののことであったろう。
ちなみに高千穂町向山秋元地区に残る明治二十五年の神楽頭取・花田芳造宛に書かれた御神楽番附帳の文書には、神楽三十三番の目録の最後に、「他ニ式舞一人、是ハ俗ニ四ノ宮丹願卜云」と記されていて、この神楽を高千穂神楽の番外(三十四番目)に列記している。
従ってこれらの古語や採物(笹)による歌舞の風情から推して猪掛祭の「地祓の舞」は、農耕を生活の主たる基盤に置いた高千穂神楽の成立に先立つ狩猟採取文化時代のより素朴な祭祀の名残りを伝えたものであり、高千穂神楽の最古型をなすものであるといえよう。猪掛祭で神前に供える新穀(熟饌)は、大・小二つの木鉢に盛られるが、木鉢をのせる三方台は天正年間の作であるから、この祭りの古さがしのばれるが、一の膳、二の膳といって、大小二つの木鉢にお供えのお替りを捧げるのも面白い。秋の収穫が済み新年を間近にひかえた旧暦十二月三日に行われ郷中最大の祭りとされた猪掛祭は、新嘗祭や鎮魂祭の原型を示すものとして、きわめて重要な古神事である。