寺山炭窯跡

世界文化遺産 製鉄・製鋼 造船
寺山炭窯跡

石炭や石油が無い時代に金属を溶かすには炭しかなかった!
 薩摩藩主島津斉彬の集成館事業の一つである反射炉(防衛のための大砲や武器の製造など先駆的な取組み事業)の燃料となる木炭(白炭)を製造するために築いた炭焼窯。
当時から寺山には良質な炭の材料となる樫やぶなの木などが多く茂り、水源もあり好立地であったことから非常に重用されました。

集成館事業、特に反射炉の熱源を支え続けた寺山の炭。
 なぜ150年余の昔にこんな巨大な炭焼き窯が必要だったのか?
溶鉱炉や反射炉を設けても大きな熱源が無いことには金属を溶かすことはできません。そのため、長く火力を保つための大きな炭が必要でした。
炭窯の概観は城壁のように緻密な石垣が積み上げられ、アーチ型の窯口門があり内部は立て木で炭を焼いていたため天井高は1間半(約2.7m)ほどあり、奥行きが2間以上(約3.6m~4.5m)と当時の炭窯としてはとても大きく造られています。

炭焼きの技術を紀州に学び、1500度の高熱にも耐える凝灰岩の石積みで窯を築いた。
 薩摩藩主島津斉彬は炭焼きの先進地とも言われる紀州熊野に奉行を派遣して、炭焼きの技術を学ばせ、照葉樹林が多い寺山に巨大な炭窯を築窯し、木炭より高熱を発生する白炭を作らせました。

住所 鹿児島市吉野町10710-68
お問い合わせ 鹿児島市教育委員会文化財課
電話:099-227-1962
利用料金 無料
駐車場
寺山ふれあい公園 駐車場/乗用車90台
アクセス情報 ・鹿児島中央駅から車で約45分
・鹿児島中央駅から中別府団地線にて約40分、少年自然の家入口バス停下車徒歩約20分
ホームページ http://www.japansmeijiindustrialrevolution.com/site/kagoshima/component02.html

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