山頭火は旅に出る。旅から旅へ‥‥。
彼の足跡と、簡単にメモした日記を追いながら、若し今の時代なら、とてもマスコミが放ってはおかないだろうと思った。彼に取材費を与え、町の片隅の雰囲気やそこに暮らす人の息づかいを「細かくルポしてくれ」と頼むに違いない。なにしろ頭はいい、才はある、俳友を含め交流関係は広く、人材ネットワークもある。山頭火が生きた時代が悪かったのか、いや、今の時代でも、山頭火は売るための文章は書かなかっただろう‥‥。そう思う。
私の個人的なことだが、山頭火の息子と暫く席を並べて仕事をした時代がある。大阪万博の時代を挟んでの三~四年間だったが、今ほど山頭火ブームではなかった。彼は父のことや系類のことは何も喋らなかった。無口だった。やはり度の強い眼鏡をかけていた。顔は父親そっくりだった。
その彼も先年逝った。今にして思えば、もっと、もっと息子から聴いておくべきことがあったのにと、悔やまれる。
彼の旅に記された各地のスポットのあれこれも多くは風化しようとしている。彼が草鞋をぬいだ宿も、ほとんど今はない。(日奈久温泉には織屋が残っている)。風化しないうちに、彼の行乞記を懐に、町の記憶を彼の文から呼び醒ましながら歩いていこう。
福岡空港・博多駅~(約70分・JR)唐津市~(約50分・バス)名護屋城跡~(約50分・バス)唐津~ (約80分・JR+20分・特急)武雄市~(約40分・バス)嬉野温泉
嬉野町~(約25分・バス)彼杵~(約45分・JR)諌早~(約50分・バス+60分・JR)南島原市~(約40分・島原鉄道)島原市
島原市~(約70分・島原鉄道)諫早市~(約70分・JR)鹿島市~(約35分・JR)小城市~(約60分・ JR)長崎駅~(約45分・バス)長崎空港