午前中は浜崎町行乞、午後は虹の松原を散歩した、領布振山は見たゞけで沢山らしかった情熱の彼女を想ふ。唐津といふところは、今年、飯塚と共に市制をしたいのだが、より多く落着を持ってゐるのは城下町だらう。松原の茶店はいいね、薬罐から湯気がふいてゐる。娘さんは裁縫してゐる、松風、波音…。
虹の松原はさすがにうつくしいと思った。私は笠をぬいで、鉄鉢をしまって、あちらこちら歩きはまった、そして松ー松は梅が独立的に味はゝれるものに対して群団的に観るべきものだらうーを満喫した。
近松寺に参拝した、巣林子に由緒あることはいふまでもない、その墓域がある、記念堂の計画もある、小笠原家の菩提所でもある。また曽呂利新左衛門が築造したといふ舞鶴園がある、こじんまりした気持ちのよいお庭だった。
宿は新湯の傍、なかなかよい‥‥飲んだ、たらふく飲んだ。造酒屋が二軒ある、どちらの酒もよろしい、酒銘「一人娘」「虎の子」。‥‥この温泉には好意が持てる。湧出量が豊富だ。‥‥茶の生産地だけあって、茶畑が多い、茶の花のさみしいこと。
嬉野はうれしいの(神功皇后のお言葉)、‥‥朝風呂はいいなあと思う。殊に温泉だ。しかし私は去らなければならない。
三月十四日
嬉野はうれしいところです、湯どころ茶どころ、孤独の旅人が草鞋をぬぐによいところです、私も出来ることなら、こんなところに落ち着きたいと思ひます、云々。
三月十五日、十六日、十七日、十八日、滞在、よい湯よい宿朝湯朝酒勿体ないなあ。
駐在所の花も真っ盛り
さみしい湯があふれる
鐘がなる温泉橋を渡る
ざれうた
うれしのうれしやあつい湯のなかで
またの逢瀬をまつわいな
わたしゃうれしの湯の町そだち
あついなさけぢゃまけはせぬ
たぎる湯の中わたしの胸で
主も菜ッ葉もとけてゆく
こゝに落ちつくつもりで、緑、俊、元の三君へ手紙を出す。緑平老の返事は私を失望せしめたが、快くその意見に従ふ。
とにもかくにも歩かう、歩かなければならない。
こゝですっかり洗濯した、法衣も身体も、或いは心までも、
春がきた旅の法衣を洗ふ
長崎はよい。おちついた色影がある。汽笛の響にまで古典的な、同時に近代的なものがひそんでいるやうに感じる。
今日は唐寺を巡拝して、そしてまた主天堂に礼拝しました。
長崎の銀座、いちばん賑やかな場所はどこですか、どうゆきますか、と行人に訊ねたら、浜ノ町でしょうね、ここから下って上って、そしてまた上って下って、そこに長崎情緒がある、山につきあたっても、或は海べりに出ても。
春が来た土なれば鳩もあるくか(諏訪公園)
日向の、人のゆく方へ行く(〃)
長崎の人々、殊に子供は山登りがうまからうと思ふ、何しろ生まれてから、石の上を登ったり下ったりしているのだから!
低い方へ行けば海、高い方へゆけば山、海を埋め立てるか、それはもう余地がない、だから山へ、上へと伸びてゆく、山の家どれが長崎市街の発展過程だ。
灯火のうつくしさ、灯火の海、(東洋では香港につぐ港の美景であるといはれている)
朝、裕徳院稲荷神社へ参拝、九州では宮地神社に次ぐ流行神だらう、鹿島から一里、自動車が間断なく通っている、山を抱いて程よくまとまった堂宇、石段、
名物小城羊羹、頗る美人のおかみさんのいる店があって、羊羹よりもいいさうな!
嬉野茶の声価は日本的(宇治に次ぐ)玉露は百年以上の茶園からでないと出来ないさうである、茶は水による、水は小川の流がよいとか、茶の甘みは茶そのものから出るのでなくて、茶の樹を蔽ふ藁のしづくがしみこんでいるからだという、上等の茶は、ぱっと開いた茶、それも上から二番目位のがよいさうである。