安心院では、顔をあげると美しい鏝絵とご対面できる。江戸時代から明治時代に作られたものが今もなお、保存状態も良いままで残っている。安心院には、70余ヶ所の鏝絵が現存している。その特徴は、当初の写実的に描かれた鏝絵とは違い、戸袋一面を使ったものや大壁一面を使ったものなど、ダイナミックな技法・手法が使われていること。恵比寿、大黒などの定番題材に加えて、他地域では、あまり見られないがま蛙や天狗などの題材が見られること。題材の豊富さでは群をぬき、ユーモラスで、バイタリティーあふれる鏝絵が残っている。
安心院のお隣、日出町でも鏝絵を見ることができる。ここには15点余り現存する。暘谷城(ようこくじょう)趾周辺を散策するとお目にかかれるのが、ウサギと波をモチーフにした珍しいもの。白壁を活かしたウサギがかわいらしい。
石橋で有名な院内町。バラエティに富む石橋が75基残っている。また、「日本の棚田百選」にも選ばれた棚田の美しい風景。そんな農村風景に雅やかな鏝絵が40ヶ所あまり残存している。家屋の倒壊や建て替えで、年々減少しているとのことだが、後世に残したい日本の原風景の一つだ。
かつての炭鉱の都、飯塚市。あちこちに江戸時代の長崎街道宿場の名残があり、情緒ある町並みを残す。芝居小屋で有名な嘉穂劇場から少し離れると、幸袋の旧家の白壁に見事な鏝絵を見ることができる。イノシシ狩をする武士など、壁三面に描き出された鏝絵に左官職人の意気込みを見ることができる。傍には炭鉱王・旧伊藤伝右衛門邸も。
玄海灘に面し、かつて海上交易と塩田によって栄えた津屋崎。人家が千軒並んでいる程栄えていたため、「津屋崎千軒」と呼ばれた。今も、造り酒屋など古い町並みが軒を連ね、情緒深いたたずまいを残す。また、かつての繁栄ぶりを物語るかのように、鏝絵が古い町並みを飾っている。豊村酒造の杉玉と竜の鏝絵は見もの。