「関ヶ原」を区切りとして近世
の政治体制が整った。この3つの藩も同じである。1600年(慶長5)に細川忠興(三斎)が丹後から豊前藩主として入国。城は1607年(慶長12)完成。以来、息子・忠利の二代32年間小倉の骨組みをつくる。後を明石から移封された小笠原氏が幕末まで。城は幕末に長洲戦争で炎上。昭和34年に復興。現在小倉城庭が大名庭園としての面影を残している。
「関ヶ原の功」で小早川氏の後を受け入国した黒田長政が1601年(慶長6)現在の地に城を築いた。長政の父祖の地は備前・福岡であることから福岡域と称し今日に。那珂川を挟んだ博多地区は商人の町。駅は博多区にあるので「博多駅」。福岡城は天守閣はなかったようだが結論は出ていない。鴻臚館があった。城一帯は城中心の舞鶴公園と大濠公園が併存して大都市の中心部の緑と水の憩いの場になっている。
秀吉子飼の武将・加藤清正が1588年(天正16)に入国した。
「関ヶ原」以後肥後54万石の藩主となり、城を築く。城は1607年に完成。日本三名城の一つとされる。石垣の反り、城内の構えなど実戦的な城として築城。加藤家が移封され小倉城から細川忠利が1632年(寛永9)に入国し維新まで細川氏が治める。西南の役で焼失。昭和53年に再建。大名庭園の水前寺成趣園は有名。
筑豊と福岡の中間にある脇田温泉はひなびた山の宿で隠れた人気。
博多では名物の水焚き。屋台の味は雰囲気が良い。
熊本では馬刺しとラーメン。それに球磨焼酎がよく合う。
「馬を食ってくまを飲む」。