天草・島原の乱をテーマにしたパビリオン施設。南蛮文化を紹介するコーナーや、乱のイメージビデオを上映する映像ホール、タイムマシーン室などから構成。島原の乱が視覚的、立体的に再現されている。
富岡城は慶長7年(1602)天草を統治するため唐津城主寺沢志摩守広高によって築かれた。寛永14年(1637)に天草島原の乱でキリシタン一揆勢、1万2千人の攻撃を受けたが落城しなかった。
原城はかつて領主・有馬貴純によって築かれた。三方を海に囲まれた岬の突端に築かれた天然の要塞の地。その廃城に四郎軍は立籠った。押し寄せる幕府連合軍は10万人、籠城90日間、遂に四郎は原城の露と消えた。
出津文化村は遠藤周作の「沈黙」との縁も深い。ここには彼の文学館、ド・ロ神父記念館、キリシタンの歴史民俗資料館、出津教会、黒崎教会、バスチャン屋敷など。
●「五足の靴」(伝統文化No.14参照)の一行は、下田温泉では泊れなかった。宿がどこにも満員だった。古くからの下田温泉は海沿い、川沿いのゆったりとした落ち着いた街並みに並ぶ。対岸・串木からの湯治客も多い。
●島原半島の温泉群、山の雲仙、海の島原、小浜と特長を誇っている。
●雲仙は江戸時代からの古湯。江戸期から文人・墨客の清遊の地。国立公園第1号としてモダンな温泉になった。噴煙あげる地獄が有名。
●下田温泉はNo.20参照
島原地方のフグも知られている。「ガンバ」と呼ぶ、棺桶のこと。死ぬ覚悟でという意味、それほど旨い。