国東半島の根っ子、海に面した杵築は松平3万2千石の城下町。坂を登りつめたところの杵築城(復元)からは豊後水道が見渡せる。石畳の坂道には土塀に囲まれた武家屋敷が並ぶ。豊後路を代表する小京都。ゆったりとした坂道の城下町の面影がそっくり残る。
日田は天領のまちである。(貞享3年(1686))幕府の官所が置かれた。水郷である。盆地である。回りの山々から三隈川はじめ4つの河川が谷川の水を集め日田に注ぐ。山清く水美しい小京都・日田。観光客に人気の鵜飼は天領以前に岐阜長良川から鵜匠をつれてきたことに由来するとされるが、天領時代、歴代の代官は鵜飼を保護奨励し、今に伝えられている。
日田を語るとき第一に広瀬淡窓が浮かぶ。
彼は代官所御用達として栄えた豪商広瀬家の長男である(1782~1852)。若くして福岡藩亀井南冥に学んだ。私塾咸宜園を開き、その下に日本全国から5,000名近くの子弟が学んだ。頼山陽もいた。豆田町を中心とする町並みは重要伝統的建造物群保存地区に選ばれ、ここを中心に「天領日田のおひなまつり」は往時の町人文化の奥の深さがうかがえる。
筑前の小京都古処山の麓の秋月は800年の歴史を誇る山里のなかの城下町。建仁3年原田氏の居城、後に日向高鍋3万石に移る。後に福岡城主、黒田長政の三男長興が5万石領し、秋月黒田氏は明治まで12代続く。城下町全体が国の重要伝統的建造物群保存地区。城跡へ向う杉の馬場通りの西側に往時の面影が残り、見ごたえのある資料館、美術館、茶屋が並んで、そぞろ歩きは快適。
天山の麓の小城市は鍋島藩2代直能が城を築いた7万3千石の古い都。城跡の千葉城跡から見下ろす町並みは京都にならった町造りがよく判る。
歴史を物語る清水観音、岡山神社、さらに歴史資料館に足を運ぶと小京都の由縁が理解できる。通りには名物の小城羊羹の店が並ぶのも一息つけて嬉しい。
50軒以上の白壁土蔵の街を歩くと、かつてこの街が洋の東西を結ぶセラミックロードの拠点だったことが判る。
有田を中心にした肥前陶磁器の積出港として17世紀後半に大いに栄えた。鍋島藩が管理した。ヨーロッパ王侯貴族は「伊万里」の焼物を渇望した。今、街中にそれらを象徴する大きな焼物のモニュメントが訪れる人を驚かす。