かつて阿蘇開拓の神・健磐龍命が立ったゆかりの地 昧爽の国見ヶ丘に立つ。
大正14年、秩父宮殿下がこの地に行啓された、土地の人の記録が残る。「それまでは地蔵原と呼んでいました。頂上一帯は刈干場で秋には刈干とうきびが頂上にいくつも並び、刈干切りの唄が山々にこだましてのどかでした。…殿下は前日は阿蘇登山され、今日は真向こうに阿蘇の噴煙を眺められたので「九州は狭いなあ」と言われたとの噂がありました」と。
まだ朝霧の中だが、北の方、低い起伏の向こうに阿蘇五岳が浮かぶ。
私は国見ヶ丘から阿蘇がこんなに近く見えるとは思っても見なかった。写真を今まで見たこともなかった。殿下も感じられたように「阿蘇が近い!」大発見だった。
この地に立って国見をし、開拓地を探した健磐龍命の話は本当だと思った。南の方は山脈が重々と連なって閉ざされているが、北の阿蘇の方向は、ゆとりの空間が懐深く広がって開放感に満ちている。「よし阿蘇の方へ行こう、そこに新天地を拓こう」命の物語が現地に立つと真実性を帯びる。命が辿った阿蘇への道が目の前に広がっている。阿蘇と高千穂は時空を越えて向き合って呼吸し合っている。
幣立宮の春木宮司さんは語る。
「ここは九州の屋根です。お宮の屋根に降った雨は東は五ヶ瀬川に注ぎ太平洋へ、西の屋根は緑川へ流れ印度洋へ‥‥」そういえば国道沿いの町の看板に「九州のへそ蘇陽」とあった。なるほど九州の分水嶺だ。天地根源の地とされている。
「太古カムロギ、カムロミの神がご神木に御降臨なさいました」ご神体はその二柱を主に天照大神を含めて五柱。
拝殿の横にそのご神木の巨根がある。一万数千年を経ているとされるその桧の根元からは無数の新しい枝が天に向かって伸びていた。生命が続いている。
「若い女性が多くなってきました。イタリア、ブラジルの女性が昨日も見えました」。私がいるときロシアの前領事コマロスキー氏がやってきた。「日本を離れる前に来ました。なぜだか、よく判りません、心が動きました‥‥」
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幣立宮にはご神宝として人類の祖神を形どった「五色神面」とモーゼにより運ばれた「水の玉」が納められている。
拝みたかったが‥‥。
昔の映画「十戒」、モーゼが玉をかざすと海が割れた。イスラエルの民が海の中の道を渡ってエジプトから脱出していくシーンを想い出した。天の浮舟に乗ってモーゼが日本に飛んできた「竹内学説」が記憶の底から蘇った。
八月二十三日(例年)の「五色神祭」には「前後して延べ8千人の人で、交通も渋滞しました」。
幣立宮の名は古文書によると神武天皇の孫・健磐龍命が宮崎から阿蘇に向かう前にこの地に幣帛を立て天神地祗を祀ったことに由来する-- とされるが、それより遥か太古から神棲み賜う杜だったのだ。
神性顕著なこの杜に波動と波動が通じ合う人が世界から集うことも初めて知った。
毎日新聞連載(平成14年)
「末吉駿一日向往還を歩く」から