大正末期から戦前、戦後。日本が重工業で国力をつけ、世界にも飛躍していった、その発展を支えたのが、九州は筑豊の「石炭」である。
命がけで働く男や女たちにとって、何よりの娯楽が「映画」や「芝居」だった。近畿大学九州工学部の調査によると、最盛期には飯塚や田川、直方などを中心に、30を超す芝居小屋があったそうだ。そこでは、旅芝居が興行を打ち、歌謡ショーが喝采を浴び、大人も子どもも涙と笑いに包まれたことだろう。
「嘉穂劇場」も、その芝居小屋を代表する劇場である。前身の「中座」は大正11年に幕を開けるが、わずか6年後には火災で全焼してしまう。翌年再建されるが、その翌年には台風で倒壊。しかし、ヤマの男たちの劇場復活を願う声は強かった。
昭和5年に、再び再建着手。6年に落成式を迎えるのである。以来75年、この小屋の舞台に立った芸人たちは数知れない。全国の舞台にもひけをとらない「奈落」や「せり」を備えたこの劇場で、美空ひばり、森進一、五木ひろし、島倉千代子、古今亭志ん朝、桂枝雀、中村勘三郎、そして、全国各地を興行で巡演する旅役者たちも、年に一度はこの「嘉穂劇場」に集って「座長大会」を華々しく行ってきた。演歌から歌舞伎、落語、能、ジャズまで、この小屋で演じられる喜びや笑いや涙が、観客の明日の活力となっていたのである。
長年芸人たちにも、観客たちにも愛されてきた「嘉穂劇場」が、再び閉鎖の危機に見舞われたのは、平成15年の夏。未曾有の豪雨で劇場にも濁流が押し寄せ、奈落は水没、舞台装置も畳桟敷も、すべて壊滅的となったのだ。
75年近く、小屋主として役者たちからも“母"のように慕われてきた伊藤英子さんも、このときばかりは「もう幕を下ろそう」と覚悟する。
しかし、再びここで芝居を…という役者たちがそれを止めた。俳優の津川雅彦や緒方拳らが中心となって支援を始め、各地からの募金も集まり、復旧への準備が始まったのだ。
そして平成16年9月、かつての芝居小屋は見事によみがえった。
今や、数年先まで興行スケジュールがびっしり入っている。
第37作でこの劇場を訪れた寅さん。願わくば、もう一度ここで、あの流れるようなタンカ売を聞きたかったなあ。