仁開菩薩の伝説に包まれた聖地、山頂の巨岩や祈願に神、仏が降臨するとされ、岩のくぼみ(窟)や頂きに修験の場があった。
天念寺邪馬、太郎天窟、中山仙境など、山岳部でないと登れない地もある。麓には両子寺、文殊仙寺の寺では修行できる。国宝富貴寺はじめ古刹が多い仏の里の代表の地。
天念寺の背後に連なる奇岩の岩峰群のことであり、とりわけ岩場と岩場の間にかけられた「無明橋」と呼ばれる幅1m程の太鼓橋は手すりもなく、渡るときにはまさにトレッキングの醍醐味をあじわえる。
遠い昔から神々の住む山として人々の信仰を集め、平安時代末期、山岳信仰をベースとした修験道が芽吹き、それ以来、この山は天台宗寺院護国寺を中心に「一山五百坊」と言われ、沢山の山伏たちが暮らしていた。しかし、明治時代(1868年)になって、神仏分離令や修験道禁止令により山伏たちは山を下りなくてはならなくなった。
海を越えて行った遣唐使も道中の安全を祈って参拝した宗像大社はまたの名を「道主貴」(みちぬしのむち)と申し上げている。「貴(むち)」とは神様の最も尊い呼び名。すなわち最高の道の神とされる由縁と、日本書紀に記されている。
その証として二千数百年前に交通安全の祈りを捧げた舟形や人形、馬形が残っている。
玄海灘の孤島、周囲4キロメートルの沖ノ島に鎮座する沖津宮は、田心姫神(たごりひめかみ)を祀る。
沖津宮では、古くから国家の安泰と海路の安全を祈って大和朝廷による重大な祭祀が行われていた。
近年この島から十二万点に及ぶ古代祭祀神宝が出土した。(出土品はすべて国宝・重要文化財に指定)
これらのことから、沖ノ島は「海の正倉院」と呼ばれている。
宗像市大島に鎮座する中津宮の祭神は湍津姫神(たぎつひめかみ)。海運漁業者の信仰がとりわけ篤い。大島の北側には「沖津宮遥拝所」があり、天気の良い日には、沖ノ島を臨むことができる。
宗像市田島に鎮座する辺津宮は、市杵島姫神(いちきしまひめかみ)を祀る。