この旅には次の本を読みながら行くと難しい神仏習合や宇佐神宮の由緒がよく理解できる。一部引用させて頂いた。
私どもは、宇佐神宮の杜にいたった。
まことに雄大な神聖森林で、まわりは堀にかこまれている。表参道をとおり、堀を見、かつ朱塗の橋をわたると、大いなる朱塗の鳥居の前に出た。
くぐると、池がある。この神は、池を好むのである。薦神社のご神体が池であることを思いあわせたい。池は、いうまでもなく、農業用の用水池を象徴するもので、築堤能力をもつ秦氏の氏族的象徴でもあったろう。
宇佐神宮の広い境内には「菱形の池」というのもあるが、大鳥居をくぐってすぐ右の池は「初沢の池」というのである。
その池になかば脚を入れるようにしてさまぎまな美しい建物がある。そのうちの宝物殿に立ち寄って、『宇佐神宮由緒記』(宇佐神宮庁刊)という小冊子を買った。
立ち読みしてみると、『由緒記』には、応神天皇や神功皇后など、津田左右吉史学以後、その実在性が稀薄になった古代的英雄の名がつらねられている。
やがて、八幡神が出現したときの中心的人物というのが出ていて、それが大神氏の祖の大神比義(六世紀ごろの人らしい)であるという。
この大神比義の後裔が、東大寺建立に協力した大神杜女・田麿であり、神託をもって仕えており、ここに、朝鮮半島や大陸から渡来した辛島と秦氏族が加り、こうした神託をなす女祢宜として奉仕したと思われる。
まことに、宇佐の八幡というのは、渡来人との関係が濃密である。
もう一つの特徴はこの神社が神託をなすことであった。
※薦神社(本項ルートにある)