御利益は乳の出が良くなると伝えられる乳水。
海岸の奥の深い洞窟の中に鵜戸神宮が鎮まっている。社の裏手に乳房の形をした岩から水滴が滴っている。その水を飲むと乳の出がよくなるといわれ、境内の茶店ではオチチ飴も売られている。
この乳水の由来は、遠く神代の物語、神話に遡る。
× ×
現地ではガイドの人が詳しく話してくれるが、一度聞いただけでは理解できにくいので、予習としてここに述べる次第。
× ×
天界から下ってきたニニギノミコトはコノハナサクヤノヒメを妻として二人の男児を生んだ。兄は海幸彦、弟は山幸彦という。海幸彦は漁に長じ、山幸彦は山の狩りに秀でていた。
兄弟はお互いに仕事をかえてみたところ弟の山幸彦は兄から借りた釣針を魚にとられてしまった。自分の刀で千本の釣針を作って許しを乞うが、兄はもとの釣針を返せと許さない。思案にくれた弟は海辺をさまよう。一人の神が来て「海神(わたつみ)の宮殿へ行き、門前の木に登って、海神の娘が来るのを待ちなさい。いいことがある…」
山幸彦は告げられたとおり小舟に乗って海神の宮の木に登っていると美しい豊玉姫が現れて宮殿に招き入れられる。豊玉姫を妻として楽しい時を送った。その間探していた釣針も鯛の咽喉から見つかり、さらに潮の干満を自由に操れる二つの玉を貰って青島へ帰った。
夫の山幸彦と別れた豊玉姫はすでに身ごもっていた。
夫の後を追って青島へ。
山幸彦は鵜の羽で屋根を葺いた屋敷を急いで作ったがまだ産殿が出来上がらないうちに豊玉姫は産気づく。出産の時に、妻の命に叛いて産室を覗くとそこに大きなワニが子どもを生んでいた。恥ずかしい姿を見られた豊玉姫は、子どもを置いて海へ帰ってしまった。
生まれた男の子は産室がまだ出来ないのに生まれたので、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と命名された。
母の乳の代わりに、岩の天井からしたたたる清水をお乳代りとして生長した。後の神武天皇の父君である。この産殿のあとに建てられたのが鵜戸神宮で、祭神はウガヤフキアエズノミコト。
最初に神殿が出来たのは延暦元年(728年)とされている。
※青木繁が描いた「わだつみのいろこの宮」はこの物語をテーマにした名作で、久留米石橋美術館にある。
※余談だが、ウガヤフキアエズノミコトの史蹟についての紀記の記述はない。
このことから梅原猛先生は、東征の旅に出たのだろうと推理される。