長崎市内の代表的キリスト教関係の遺産を訪れ、もう一度、再認識した後は、島原半島から天草に渡ろう。 まず、島原半島にはコレジヨが加津佐の地にあった。コレジヨとは英語のカレッジ(大学)のことで、宣教師を養成する特別の学校のこと。キリシタン弾圧が厳しくなるにつれて、それは海を渡った対岸、天草の地に移っていくことになるが、ひとまず、島原といえば原城跡を訪れねばなるまい。天草、島原のキリシタンの乱で、四郎軍が籠城し、最後を迎えた城だ。 (第1巻、・20、サンチャゴの鬨の声で既にとりあげた)この城を、幕府は総力をあげて、とり囲み、打寄せた。ふと、西南の役の城山総攻撃を思い浮かべる。 対岸、天草の島にキリスト教は伝波していた。正確にいうと、天草から長崎へ伝波したというのが正しいだろう。世界大航海時代、黒潮の流れで天草は西欧諸国との窓口だった。ポルトガル船は天草の 津に、志岐(富岡)に漂着したり、入港した。 その天草、■津の地には、加津佐から移ったコレジヨが建てられたという。 当然、信者も多かった。「隠れた」。 いま、そのすべての根跡は定かでないほど、破壊されつくしている。 明治になって宗教が自由になる。待ちかねたように、大江に、■津に教会が建てられ明るい鐘が鳴り響いた。ガルニエ神父の功績が大きい。そのガルニエ神父(パアテルさん)を訪ねて、遥々と与謝野鉄寛等5人の詩人(五足の靴)が訪れてから一世紀が経った。 天草は、キリスト教の歴史と共に文学の足跡も残した。
長崎空港~(44分・バス)長崎駅~(60分・JR)雲仙
雲仙公園~(約50分・バス)島原~(3分・島原鉄道)島原船津~(72分・島原鉄道)口之津港~(30分・フェリー)鬼池~(30分・バス)本渡(天草市)
・本渡~(188分・バス)阿蘇くまもと空港・本渡~(約140分・バス)熊本駅