明治40年、夏、東京新詩社の若き五人の詩人が九州の旅に出た。五人は 与謝野寛(鉄幹)、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里である。
九州の南蛮文化探訪を主としたその旅は、紀行文「五足の靴」として東京二六新聞に連載された。コースは下記の通りで、特に天草で彼等が受けた印象は強く、「日本耽美派文学」興隆の緒をつくり、白秋の「邪宗門」の南蛮詩として開花したことは、余りにも有名である。
一行のコース
赤間ヶ関(下関)↓博多↓柳川(白秋の家)↓佐賀唐津(ひれふり山)↓平戸↓長崎↓茂木↓富岡↓大江↓牛深↓三角↓島原↓長洲↓熊本↓阿蘇登山↓熊本(江津湖)↓三池坑↓柳川‥‥の長距離であった。
忠実にその跡をなぞる。まずはその[・]。
なにしろ才人ぞろいの一行、5人である。この旅からまぎれもなく一つの文学が生まれた。旅は文学を生み、文学は人を動かす典型的な例である。
鉄幹はこの旅をこよなく気に入った。その証拠に妻になった晶子夫人と共に再びこの地を訪れた。阿蘇にも晶子を連れて行った。交通不便な当時のことを思えば、よほど強い思い入れがないと、こんな贅沢な旅は出来ない。今は贅沢な、意味ある旅が出来にくくなった。ゆっくり贅沢して下さい。
北九州空港~(40分・バス)小倉駅~(約15分・JR)下関市~(約15分・JR)小倉駅~(16分・新幹線)福岡市~(約60分・西鉄電車)柳川
柳川市~(約55分・バス)佐賀市~(81分・JR)唐津市
唐津市~(約50分・JR)伊万里市~(約70分・松浦鉄道)たびら平戸口~(90分・松浦鉄道)佐世保駅~(100分・バス)長崎空港