●佐賀市を廻り、鉄道馬車で虹の松原を走る様子が描かれている。領巾振山に上り佐用姫のことに思いをいたす。
「五足の靴」の旅には、原本を持っていくとグッと楽しみが増す。五人がリレーで綴る文章はリズムもよい。もともと、新聞用の紀行文だから、歴史のことも織りまぜて書かれているので。以下唐津・領巾振山の項を原文から引用した。
松原を突切ると領巾振山(ひれふりやま)が見える。左程高くはない平い山である。天平の頃山上憶良(やまのへのおくら)が肥前(ひぜん)の国司(こくし)として不平で堪らず、この辺をぶらぶら歩いたのだと思ふと非常に面白い。・・・喘ぎ喘ぎ急阪を登ること暫くにして顧れば眼界頓(とみ)に開け松浦川(まつうらがわ)の流が絹の様に光る。前には領巾振山が緑の肌に衣(きぬ)もまとはず横はり伏す。最も左峰の山頂に松が見える。そこで佐用姫(さよひめ)が領巾(ひれ)を振ったのである。まだまだ高い。少憩して再び登る。薄紫の撫子がすくすく咲いてゐてそのかみの美はしき少女を忍べといふ。優しいことである。男連れなれど趣味を解すと自ら思へる者の一行である。各一茎を摘む。うねうねした踏文道は容易に尽きぬ。徒(いたづら)に仰いで頂上の松をのぞむ男は何れも息をはづませて居る。よくこんな山へ女の身で登ったものだ。恋するものは労力を味ふ暇がない。清水あって草の間に湧く、掬(むす)べば濁れど冷い。喉渇けば交るがわる辛じて手にすくって飲む。有るか無きかの泉も頓に元気を回復させるものである。憶良がこの山に登った時この泉を掬んだらうと思う。眼を放てばそこらあたりに紅の百合が火の様に咲いてゐる。恋(こひ)に燃ゆる佐用姫の心である。女郎花(おみなへし)がある、男郎花(おとこへし)がある、鈴蘭がある、昔の人を慰むるべく咲いて居る、都の人に送らうと摘んで美しき花環を作る。登りつめると池がある。頂の端(はづれ)、老いたる松の唯一本(ひともと)立てる下に腰打ち下ろして四方(よも)を眺む、日はまだ高い、白い帆を下げた狭手彦(さでひこ)の船が次第に遠ざかる、摩(まね)けども帰らぬ、女は声を限りに「我が狭手彦」と呼ぶ、白い帆が微かに震ふ、女は領巾を外してひらひらと舞はした。緑の山に白い領巾が靡いてゐる、青い海に白い帆が走ってゐる。古への夢を今見て、一しほ趣が深い。彎曲した海の縁を取って長く続くは虹の松原である。・・・・東の方遙に細い玉島川(たましまがは)が流れて居る。憶良が若鮎釣る美はしき娘子(むすめ)に会ひ、歌を贈った所である。心はまた昔にかへる。船遠ざかるに従ひ、一歩一歩と佐用姫は此処を登ったのである。半(なかば)下ると松原が邪魔になる、蓋(けだし)その頃海は山のすぐ麓まであったのだろう、左様でなければ面白くない。