福岡名島町で小川卯平がガラス製造を始める。数々の博多びーどろをつくったが、筥崎宮放生会で売りだした玩具「博多ちゃんぽん」で一躍有名に。世間ではびいろど屋卯平と呼んだ。自営のガラス製造を続け福岡藩の産業復興の一助になった。
食べ物の名ではなく、ガラスの郷土玩具。江戸後期に小川卯平が長崎渡りの技術で作らせ放生会で売りだし、名物玩具となった。いったん姿を消したものの、昭和47年に再び放生会に復活し今日に続く。
肥前びーどろは鍋島藩10代藩主鍋島直正公(閑叟公)が、嘉永年間、多布施川のほとりに精錬方を設置したことに始まる。化学実験のためのビーカーやフラスコが作られたほか、食器やランプなどが製造された。
元亀2年(1571)、ポルトガル人が長崎にやってきて間もなく、ガラスの製造も伝わった。瑠璃庵では吹きガラスの体験もできる。長崎ビードロ細工は土産品として人気。
薩摩藩28代藩主島津斉彬は富国強兵・殖産興業を推し進め、桜島、錦江湾を眼前にした磯に一大工場群を築いた。後に集成館と命名され、そのうち殖産興業の一環として100人もの人々が製造に携わったのが薩摩切子。日本風ともいえるボカシの独特の作風は、薩摩ビードロとして世界のガラス工芸史上に燦然と輝いている。斉彬の描いた海外進出という壮大な夢に裏付けられた薩摩切子は、被せガラスの技法とヨーロッパのカット技術が融合した繊細にして優雅。復活された今日では、鹿児島県伝統的工芸品に指定され、薩摩ガラス、薩摩ビードロとも呼ばれ、復刻生産されている。