異国情緒あふれる町、長崎。外国交易の窓口として発展してきた。中でもお隣、中国との関係は深い。現在の孔子廟は、明治26年(1893)清国政府と華僑が協力して建設したもので、中国人が海外で建設した唯一の孔子廟である。その後幾度も改装を重ね、昭和57年(1982)中国山東省曲阜孔子廟の協力で完工。すべての資材を中国から取り寄せた本格的孔子廟である。併設の博物館では中国の古代文物などを観覧できる。
1708年(永宝5年)に多久領主・多久茂文によって建立された、日本で最も古い孔子廟と言われるものの1つである。江戸時代、大藩の学問所には学問の神様として孔子廟が建てられたそうだが、小さな邑であった多久が他藩に先駆けてつくったもの。幕府・本藩からの許可をうけるまで20余年もかかったという。当時の領主の学問への意識の高さが伺われる。現在は学問の神様として有名。国指定重要文化財。
明治21年に聖廟舎建立。日本で数少ない中国製孔子像(清国聖祖皇帝康熙38年に鋳造来奉)が鎮座する。これは、ゆかりの深い多久聖廟から明治14年に譲り受けたもの。毎年4月21日、9月21日に子供の無事成長と向学心の助長を祈願する祭典が行われている。
泗水という地名は、明治22年(1892)、孔子の生誕の地・中国山東省泗水県にちなんで名づけられた。泗水町孔子廟は、命名100年を記念して平成4年 (1992)に建設、公園として整備された。公園のシンボルである祀聖亭(しせいてい)には、中国泗水県産の6億年前の石で造られた高さ3メートルもある孔子像が納められている。