桜島を築山に錦江湾を池にみたてた雄大な借景をもつ仙巌園は、万治元年(1958年)19代島津光久がこの地に別邸を構えたのを始まりとする。園内には永い歴史を物語る史跡が数多く残されている。仙巌園の正門として作られた錫門、明治時代には島津家の本邸としても利用された御殿、日本で初めてガス灯を灯した鶴灯籠、琉球の国王から献上されたと伝えられる望嶽楼、その他、千尋巌や曲水の庭、江南竹林など随所に中国風の造園を感じさせるものもある。
元禄元年(1688)八代城主・松井家三代直之が母のために建てた御茶屋。当時は八代海が見渡せる浜辺であり、浜に吹く松風も聞かれたというのが名前の由来。6月になると肥後六花の一つ、肥後菖蒲が白や紫の花を咲かせ、緑の庭園に彩を添える。現在は干拓で海から遠いが、四季折々に茶会が開かれて典雅な雰囲気が漂う。
肥後藩主細川忠利の代に御茶屋として設けられたもの。ここに羅漢寺住職のために寺を建立して「水前寺」と名付けたことが名前の由来。桃山式の美しい回遊式庭園で、東海道五十三次を模したものとされている。清冽な湧き清水の庭園として有名。
柳川にある筑後十三万石立花藩の四代目立花鑑虎が、四方に堀を廻らせた総面積約7,000坪のこの地に「集景亭」と名づけた別邸を構え、遊息の地とした。元禄10年(1697)当時この地域が、「花畠」という地名であったことから、柳川の人々から「御花」と呼ばれ今日にいたっている。仙台の松島にみたてた松濤園と呼ばれる庭園の池は冬になると5千羽の鴨が飛来する。
桜の名所として有名な神野公園。その中にある「隔林亭」は、佐賀藩十代藩主鍋島直正(閑叟公)の茶室として建てられた。老朽化のため1960年解体。20数年後「隔林亭文書」の一枚の写真と古図をもとに、平成5年に復元された。多布施川から清流を引いた池、松や梅などの緑が鮮やかな池泉回遊式の庭園。現在は茶会も開かれ、市民の憩いの場。
●日奈久温泉は山頭火が絶讃した。温泉の歴史を語る「温泉神社」が町中にある。かけ流しが売りもの。
●柳川にも温泉があるが、近くの船小屋温泉は古い。
●柳川はうなぎが名物。有明海の珍魚ムツゴロウ、ワラスボ、イソギンチャクなど食通好み。
●あくまき(灰汁巻き)若竹の皮に持ち米をくるんだ「ちまき」のことで,鹿児島の5月の節句に欠かせないもの。一晩木灰汁(あく)につけたもち米を竹の皮に包み、木灰汁を加えた水で炊き込む。あくまきは日持ちがよく、秀吉の朝鮮の役には,島津軍はこれを持参したという説もあり、歴史あるかごしまの味である。